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2019年07月05日

ずかずかとキッチンの中へ

そのレストランへは、ロビーから、海が見えるデッキに出て、右手の散策路をゆっくり歩いていく。その途中のベンチの横のトーチに火がともった。夕暮れが近づいて風が少し出てきたようだ。さらに散策路を進むと、長い板張りの通路になる。となりの丘への渡り廊下だ。その突き当りを左へ曲がると、広い庭が広がり、レモンの木が街路樹になった小径が続く。その通路の左手に青いプールが見える。今夜のレストラン「Eレテギア」は、プールサイドに作られたふたつ(2種類)のスペースを持つレストランで、ふたつともに、ガラス張りのクールな建物だった。

その2種類のスペースの名前は「キッチン」と「ダイニング」といい、利用客は好きなスペースを選択する。迷わず選んだのは「キッチン」の方だ。「キッチン」は名前の通り、広い厨房で、奥の壁に巨大な窯が設置され、大きな薪(まき)が、音を立てて燃えていた。この薪の窯での調理が、ここの特徴だとすぐに気づいた。厨房の中には3本の大きな長い調理台(調理テーブル)が並んでいて、何人ものキッチンスタッフたちが3本の調理台に、それぞれ整然と並んで、今まさに調理している。この建物が、すべて厨房だと言っていいくらいだ。その3本の調理台の端の方には、なんとテーブルセッティングがされている。どうやら、このレストランはキッチンの調理台に椅子を並べ、真横で進む調理を見ながら、そのまま食事するという大胆なレイアウトだった。

オーダーが決まり、ドリンクが提供される頃、僕はマナー良く「写真撮ってもいい?」を声をかけた。まともなレストランなら、回答は「もちろんです」が普通なのだが、このレストランは、少々違っていた。「はい、もちろんです。どこを撮って頂いても構いません。なんでしたら、キッチンの中にどんどん入っていって、撮影してください。」という。たまげた(笑)、そんなレストランは、なかなかない。おコトバに甘えて、さっそくカメラを片手に大きな冷蔵ショーケースに向かった。中には先ほどオーダーした銘柄牛などが積まれている。シャッターを押していると、今度はシェフのH井さんが肉を片手に声をかけてきた。よく陽に焼けた精悍な顔つきの彼は、僕の牛肉をカットしている最中で、それを見せに来たのだ。

色黒のシェフとの会話がすすみ、図に乗った僕は、ずかずかと奥に入っていった。巨大な薪の窯の火力の仕組みや、調理のこと、今夜のメニューのことなど、シェフはていねいに、分かりやすく笑顔で説明してくれた。彼の日焼けは釜のせいなのか?いやいやそんなことはないな(笑)。HPによれば、ここは、スペインのバスク地方で修業したシェフによる瀬戸内の幸を使った料理、ということなので、スペイン料理だとばかり思い込んでいた。そんな会話をシェフと交わすうちに、バスクにこだわらず、地産地消を徹底するホテルの強い理念の話にまで披露してくれた。

おしながきには、素材の名前だけが書かれているのだが、野菜の皿から順に、魚介も、メインの肉も、すべて素材の魅力を引き出すような料理ばかりで、薪の香りが最大のアクセントなのだと納得していった。とにかく、どれも旨いのだ。スタッフたちのキビキビしたサービスも、目の前で進む調理や盛り付けが、今夜の一番のショータイムだ。そしてさらに、全面に広がるガラス窓の向こうで、瀬戸内の夕焼けが始まった。日没をためらうように、ゆっくり時間をかけて、日没のショーも始まっていた。このレストランには、そんな魔法の時間が流れていた。ビールもワインも、どんどん進み、帰るときにはシェフを呼び出して、大声で、さかんにお礼を述べていた(笑)。だから酔っ払いはダメだなぁ。

一発で気に入った僕は、翌朝の朝食も、ここでとることにした。座席は、もうひとつの「ダイニング」の方を選ぼう。食後のコーヒーは、あの海を見下ろすベンチがいいな。

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