toggle
2020年05月15日

人工的な横丁の飲み屋で

飲み屋街は楽しい。どこの飲み屋街も決まって「〇〇横丁」と呼ばれていて、狭い通路に小さな店がひしめき合っていて、開け放たれた入り口に汚れた暖簾が下がっていたりする。街灯は暗くて、店の照明がやけに暖かく思えて、光に集まる虫のような気分で、暖簾をくぐったりする。〇〇横丁は、概ねその街の代名詞で、長い歴史を重ねて名物店が生まれ、顔ぶれが入れ替わる。しかし使う人たちのオアシスなのはずっと変わらない。イメージでは、くたびれたサラリーマンの憩いの場に思えるが、今では若い女性たちやカップルであふれている。
街の歴史とともに自然発生的に生まれた〇〇横丁は、だいたい繁華街の外れや、ビルとビルの隙間を曲がったあたりにあって、夜になると活気づく。〇〇横丁には、その街の臭い(カルチャー)が染みつく。銀座には銀座の、赤羽には赤羽の、吉祥寺には吉祥寺の街の「るつぼ」のような味がある。それは日本中の地方都市も同じだ。だから、とてつもなく面白い。

10年ほど前のことだろうか、そんなレトロな飲み屋街を、人工的に作ってしまうケースが誕生した。興味を持ち、初めて訪れたのは「恵比寿横丁」だった。荒廃して休眠していた恵比寿の公設市場?をまるごと改造して作り上げた、現代の飲み屋横丁だ。
狭い路地に2坪から5坪くらいの、狭いがとても個性的な専門店が、20軒ほどひしめき合っていた。どこも超が付くほどの繁盛ぶりで、利用客が肩を寄せ合って楽しんでいる。そして最大の特徴は客層が圧倒的に若いことだった。ギターを抱えた「本物の流し」がいて、リクエストに応えて歌を聴かせてくれたりする(笑)。その昔、全国各地にあった「屋台村」と呼ばれるチープな集合施設とは違って、全体が巧妙にプロデュースされ、1店1店が作りこまれた内装で、商品にもアイデアとバリューがあった。

その後、この横丁ブームに火が付き、都内には品川魚介センター、神田ミートセンター、有楽町産直飲食街などの、多くの新しい横丁飲食街が作られていった。どれもレトロ調だが、現代的な活気に満ち溢れていた。そんな横丁づくりは、日本全国の様々な街で、そして商業施設の中にまで広がり、最近ではフードホールやバルストリートと呼ばれるような、きれいでハイセンスな形態まで生まれ、進化を続けている。
その晩、僕たちおっさん二人は、大塚駅前の都電の踏切の横にある「大塚のれん街」にいた。昨年オープンしたばかりの新しい横丁だ。とにかく外観がファンキーだ(笑)。座ったのは「うなぎ串の店」なのだが、カウンター5席と小さなテーブル2基があるだけの狭小店舗だった。もうずいぶん酔いも回っている。そこで薄いレモンサワーを舐めながら、後ろの席の若い女性グループの会話に耳を傾けていた。けっこう危険なトークが炸裂する(笑)。夜の飲み屋でウサを晴らすのは、おっさんだけではないようだ。

去年の5月は、27期のみんなと京都にいた。日中は炎天下の京都を歩き、夜は関西27期のメンバーと合流して遅くまで祇園で遊んだ。そして翌日のお昼頃のこと、大阪駅のルクアの地下で、ばったり関西組のメンバーと出会った。もちろん予定外だ。そこは、いわゆる「フードホール」で、さっそく皆んなの昼酒が始まった。売り場にある寿司やサラダ、チーズや生ハムを調達して、テーブルに広げる。もちろん、ビールやワイン、ノンアルなどを買ってきて、楽しい臨時の同窓会の時間を過ごした。計画的な旅も楽しみだが、こんなハプニングは大好物だ。いつになるか分からないが、またみんなと、どこかの横丁巡りでもしてみたいものだ。

Other information