馬鹿と煙は・・・
忘年会新年会あれこれ
同級生のみんなは、仲間内の忘年会とか新年会とか、あれこれ楽しめたのだろうか。今回は、僕のささやかな話を書いてみたい。
世の中の昭和おじさんたちは「12月の飲み会」のことを、なぜか忘年会と呼ぶ。クリスマスの会とか呼んだって良いのだろうが、おじさんにとってのクリスマスは24日25日の限定的なのもので、居場所のなさも重なって、ローストチキンなんかで酒が飲めるか、などと敬遠してしまうのかもしれない。さしたる目的もなく集まって、この1年のシゴト上の「うさを晴らす」飲み会は、昭和ビジネスマンの共通項だったのだと思う。
一方の新年会も、互礼会とか賀詞交換会のような儀式的なものばかりで、楽しい飲み会というのとは別のものだった。現役を離れて久しいから最近の新年会の様子は分からないが、きっとそんな古い儀式は消滅したのかもしれない。消滅したのは、料理屋さんも同じだ。この2年間でたくさんの店がクローズして、夜の風景は一変してしまった。
自粛モードの2年間とは違って、年末の12月はあちこちで忘年会が復活したようだ。会場になる料理屋さんはどこも忙しくて、週末の予約が取れなくなっていた。とはいえ、予約の人数が小さいのが特徴のような気もする。
僕も毎年、12月に昔のシゴト仲間が集まっての忘年会をやる。昔はシゴト相手として侃々諤々やっていた仲間だが、もうみんないい歳だ。今回の会場も仲間のなじみの古い店だった。僕たちより年上のご主人と奥さん二人で営む小さな居酒屋なのだが、一週間後に店をたたむらしい。詳しいことは分からないが、またひとつ、なじみの店が姿を消すことになった。ご主人は明るく「これからの人生」のことを語ってくれた。僕たちも全員「経営者」なので、ご主人のホントの気持ちってやつを想像して、それを静かに飲み込んだ。
コロナをきっかけに、残りの人生を考え直す風潮が強くなっていると思う。それは僕だけのことではなく、同じような年齢なら、ごく自然のことだと思う。口に出すのは「明るい未来」のことなのだが、飲み込んでいる現実はけっこう残酷だったりする。
1年1年を大事に、友人たちとの時間を大切に、一期一会で臨んでいこうと思う、あらためて、そんなことを考える今日このごろだ。
同級生4人の新年会
この日、僕たち4人は北國新聞社ビルの21階にいた。とはいえ新聞には何の関係もない。ただ焼き肉を食べにやってきたのだ。馬鹿と煙は「高いところが好き」というのだが、21階の焼肉店を会場に選んだ僕は、さしずめそんなところだ。集まったメンバーも概ねそんな感じかもしれない、誰も文句を言わなかった笑。
Z団の忘年会は中止になってしまった。とはいえ、心許せる仲間と一緒に、やりたいことも話したいこともあった。だから、あきらめることなく、執念を燃やして笑、新年会を企てることにした。集まったのは、K-Dreamの二人(N畑くんとM岡くん)、そして編集部の二人(K中くんと僕)の4人だ。やりたかったことというのは、K-Dreamの5人に渡すプレゼントのことだ。編集部二人それぞれの手作りだった。
21階のこの店「叙〇苑」は首都圏を中心に、今では全国の主要都市にもあるから、ある意味でチェーン店なのだろうが、いわゆる「高級焼肉」を謳い文句にしている。馬鹿と煙が好きな高いところって意味には「値段も高い」が加わっていた笑。まぁ新年だから今日くらいは・・・ってことかな。おじさんたちが明るい未来を語り合うには、シチュエーションも大事なのだ。
牛タンは外せないが、上質な和牛はあんまり得意なわけでもない。あの「さし」の入ったやつは美味しいに決まっているが、たくさん食べれるわけでもない。結局、控え目な量だったが、食べた焼肉はどれも旨くて、みんなでウンウン唸っていた。何とな~くだが、酒はあんまり欲しくない、なぜかそれはみんな同じで、いろんなことを語り合う時間になった。まぁ近い未来のハナシかな。老いてもやりたいことを持つ方が未来は明るい。
せっかくだからと、尾山神社へ向かった。すでに正月らしさもなく暗いのだが、社殿の屋根の上に満月?が輝く夜だった。参拝を終えた境内で、自撮り棒に手間取るおじさんたちを見かねたのか、若い女の子が声をかけてくれて、シャッターを切ってもらった。
大阪から観光に来たという女の子二人連れだった。新年早々、ついてるかもしれない、などという理由で、おじさんは「おみくじ」を買ってみた。今年2回目のおみくじ(誕生日別になっているやつだ)には、良いことばかり書いてある(まぁ前回と真逆だ)笑。こんな邪念で手に入れた幸運は決して長く続かないのだろうが、今年こそは、いい1年にしたいものだなぁ。