青春のかけら「和倉の先生の教え」
25~26歳頃の時だったと思う。店頭に立って顧客を迎え、腰を折ってキチンと挨拶する仕事なのに、挨拶するたび、背中に激痛が走るようになっていた。病院は大嫌い、などと言っていられず整形外科へ走ったところ、レントゲンなどの検査の結果、第5腰椎の「腰椎分離症」と診断された。どうやら後天性のものらしい。専用のコルセットが出来上がり、受け取りに行ったとき、改善が見られない場合は手術が必要、などと脅された。聞けばギブスベッドに1か月?とか、リハビリに数か月?とか、現実的じゃない入院生活を指摘され、天を仰いだ記憶がある。それ以来、この整形外科へは行かなかった。当時はゴルフを始めた頃で、力まかせにドライバーを振り回すのが楽しくて、とても安静な毎日など、おくるつもりもなかった頃だ。前日に打ちっぱなしへ行き、当日ラウンドして、翌日は整骨院へ通う、という無謀な日々が始まった。ゴルフの師匠が紹介してくれた「難病でも直す整骨院」は和倉にあった。初めて連れていかれた時、早朝の駐車場の車は県外ナンバーばかりだった。待合室は座って待つものなのに、腰が痛くて座ることもできず、床に寝転がる患者がたくさんいて驚いたものだ。その筋では有名な治療院で、施術費用も高額だったが、遠方からの患者が絶えないのだと聞かされた。治療は骨格の矯正と患部周辺の手技による施術が中心で、治療が終わった当日の夜だけ猛烈に痛いのだが、翌日からは、不思議なくらいに楽になっていった。楽になると、またゴルフに向かって・・・、とバカなサイクルを繰り返していた。そのうち、この整骨院の常連客になり(笑)、治療の昼休みには、先生のヨットでお茶を飲んだり、寿司をごちそうになったりと、仲良くなった。しかし、こんな無茶で、お金も時間もかかることが継続できるはずもなく、ゴルフをやめる決断をすることになった(一向に上手くなれなかったのも理由のひとつだが)。仲良くなった和倉の先生とは疎遠になったが、今でも、正しい姿勢や座り方、ストレッチなど、先生からの教えは守るようにしている。ゴルフとは縁が切れても、何年かに一度、あの激痛が再発することがあった。そのたび、人から聞いた整骨院を手当たり次第に回った時期もあるが、和倉の先生ほどの「凄腕」には会えないまま、時は流れた。僕にとっての「腰痛」は、もはや身体の一部の悲鳴なので、最近では付き合い方も上手くなった。痛みへの応急処置さえできれば乗り切れるものになった。近所の整形外科へ行けば、痛み止めや効果的な湿布薬を処方してもらえる。この冬の除雪は、さすがに腰に負担がかかる。そろそろ湿布薬をもらいに行くことになるだろう。僕の「腰痛予報」は良く当たる。