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2021年04月02日

本の時間「小鍋立て」

日本人なら誰もが鍋を食べる。もはや冬の代名詞ではなく、一年中楽しむものになった、ある種の国民食だ。定義らしきものは何もなくて、ただ「鍋」という道具で作れば、どれも鍋料理ってことになる。とにかく材料名の後ろに「鍋」と付けば、立派な鍋なのだ。
お母さんが「さぁ、〇〇鍋ができたよ」と子供たちに声を掛ける。台所で作った鍋をテーブルへ運ぶ。具材たっぷりの美味しそうな鍋のアップが画面に広がる。そんなドラマかCMがあったような気がする。家族みんなで囲む暖かい風景にも似合うし、友人たちでワイワイやるようなパーティーのシーンも楽しい。もちろん男女二人が優しく語り合うのもいい。そんな万能の料理だ。最近は、有名店の「鍋だし」も買えるし、便利なメーカー製の鍋だしも豊富に揃っていて、いつでも簡単に味替わりできる。たとえ材料が同じでも、次回は別の鍋に変身する。まぁ飽きることもない、ということかな。
しかし、個人的に言えば僕の鍋のイメージは違う。少なくとも台所で作ってテーブルに運ぶやつではない。食卓にコンロを置いて、鍋が沸いたら、皿に盛った素朴な材料を、順に少しだけ入れる。食べる分だけ入れるのだ。そこで順に煮炊きしながら、さぁ今だと、フーフーやるやつがいい(笑)。他の料理などは何もなくて、質素な感じだ、でも素材が雄弁に語るような、豊かな時間が流れる。

今日の「本の時間」は、小鍋立て(こなべだて)のハナシだ。まぁ小さな鍋で作る一人用の鍋、というイメージに間違いはないのだが、少し意味が違う。一般には馴染みのない言葉だし、すでに死語に等しいかもしれない。小鍋立て、というやつは、時代小説や昔のエッセイには、しばしば登場する。さらに、世間から食通と言われる大御所だとか、昔の著名人を描くシーンには、いまでも出てくる独特のものだ。僕にとっては大事なスタイルなので、少し書いてみたい。
今の鍋料理との一番大きな違いは、材料の数だ。2種類、多くて3種類しか使わない。だから旬の素材が似合う。そんな春夏秋冬の料理だ。目の前の小鍋で、真剣に作って、煮えっぱなのベストなタイミングで食べる。もちろん主役は魚や旬の野菜だから、使う「だし」は素材を殺さないように「薄味」になる。素材の味を楽しむから、取り皿には少量の塩や、七味が似合う。逆に、ジビエ肉などの個性が強い食材の場合は、醤油と薬味で濃いめの「つけダレ」を用意して、さっと喰らう。まぁそんな感じだ。

特別ドラマ?の主人公・吉田茂が、大磯の縁側で旨そうに「湯豆腐」を食べる印象的なシーンがあった。あの池波正太郎の作品に出てくる「豆腐と大根の小鍋立て」にそっくりだった。彼の小鍋立ては、とても粋な食べ物だ。主人公が和服に足袋で、縁側に座り、庭を愛でる。テーブルなどはなく、その右横に小さな火鉢が置いてある。そこに鍋があって、煮えた豆腐をひとつだけ、茶碗に取り出す。大宰相の孤独感がただよう、そんなシーンに思えた。
飛行機事故で逝った向田邦子が書いたドラマでは「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」が有名だ。ともに家族を描くために「食卓」の風景が出てくる。彼女も「食」を大事にした人で、僕は彼女の(正しくは妹さんが再現した)レシピ本を買ったことがある。彼女が愛した小鍋立ては「ほうれん草と豚肉の鍋」で、いまなら「常夜鍋」と呼ばれるものだ。彼女の鍋は「だし」を使わない。日本酒と水、そこに「ニンニクと生姜」をひとかけ放り込んで沸かすだけだ。豚とほうれん草を交互にしゃぶしゃぶして、つけダレ(絞ったレモンに醤油を少々まわすだけ)で食べる。唯一のルールは、豚、ほうれん草、豚、ほうれん草・・・と順番を守ることらしい。
実は、このニンニクがとてもいい仕事をする。僕は真似をして、肉の鍋ならニンニクを丸ごと1個、皮をむいて(切ったり刻んだりしないで)そのまま放り込む。どんなに安い肉でも見違えるほど旨くなる(笑)。

もう一人、小鍋立てにうるさかった著名人がいる。あの北大路魯山人だ。まぁ彼の小鍋立てを書こうかと思って、本や資料を引っ張り出したが、とにかく面倒くさい男だ。やれ、ダシは食べるたびに入れ替えろとか、逆に、素材は無駄なく使えとか、タレはちゃんと調合しろとか。野菜の切り方はこうだ、皿はこっちを使え、盛り付けはこうだ、と頭に来るくらい面倒なので、彼のことは書かずにおこう(笑)。
今夜は「金沢芹と合鴨の小鍋立て」にしようと思う。生姜(厚めにスライスして)とニンニク(丸のままで)を使うことにした。金沢芹はひと束しかなかったので、うるいや三つ葉を追加する。薬味には生七味(なましちみ)がいいと思う。まぁ魯山人の鴨の逸話を思い出したから、ワサビだけは試してみようか。
大人にとっての小鍋立ては、素材がもつ旬の滋味を味わうものだ。そして同時に、食べるシーンを大事にするものだ。四季の移ろいや、ひとびとの暮らし、人へのねぎらいや感謝、そんな日本の原風景なんだと思う。えっ?合鴨に旬はあるのかって?、実はあるんだ、産地によれば晩秋から冬の間らしい。天然鴨より安くて圧倒的に旨いと思うんだけどなぁ。まぁ蕎麦屋の鴨せいろ党の僕は、やはり合鴨ラバーなのだ。
あっ、本のハナシのはずなのに、ついつい食べ物のハナシになってしまった。まぁ僕が書くんだから仕方がないかな。

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