ピーマンストリートのガレット
8時ちょうどの「あずさ2号」が走っていたのは1977年当時のことらしい。始発の新宿から「あなたの知らない人と」「春まだ浅い信濃路へ」の旅に向かう女性が、「さよならは、いつまでたっても言えそうにない」とつぶやいている。いろいろあったんだね。あらためて読んでみると、なかなか深い歌詞だったんだな(笑)。
長野から篠ノ井線で松本へ、そして松本からは特急「あずさ」に乗ったので、ふと思い出し、歌詞を検索していた。車窓からは広い盆地が眼下に見下ろせる。初夏の景色は一面の緑色で心が洗われる。あずさ2号の検索結果には、たくさんの鉄道ファンのディープな投稿があって、それはそれで、とても面白い。
3年ぶりに宿泊する小淵沢のホテルには、待ち合わせの時間より早く着いたので、荷物を預け、敷地内の施設をブラブラすることにした。ヨーロッパのどこかの街をモチーフにしたようなエリアがある。左右におしゃれな店が入居していて、その間に石畳の小径が続いている。その小径は、通称ピーマン通りと言う名前だ。たしか3年前は「通り」ではなく「ストリート」と呼んでいたはずだけどなぁ、そんなどうでもいいことを思い出していた。
ひとつひとつの店の店頭には色んなものが並んでいて、眺めて歩くだけで楽しい。途中の広場には、たくさんのイスが並んでいて、大型ワゴン車がとまり、グラスワインや野菜のパフェ?などが売られている。隣のカフェも、どうやら店頭でテイクアウトをしているようだ。有名な珈琲専門店だ。
ちょうど昼時なので、軽く何かを食べることにした。3年前に入った「ガレットの専門店」を無意識に探していた。たしか、一番奥のレンタサイクルのショップの手前に、あったはずだ。当時はガレット(蕎麦のクレープ)が何となく信州にぴったりくると思ったのだろうか。小さい店だったが、珍しいので写真看板にそそられて入ったことを覚えている。オープンキッチンの大きな鉄板でガレットを焼いていた。まぁ見ようによっては、お好み焼きのカウンターに見えたっけ(笑)。野菜たっぷりのサラダ感覚のガレットや、ソーセージなどを使った食事タイプや、カラフルなデザートタイプまで、何種類もあり、あれこれ頼んでしまったのだが、どれも美味しくなかった。そんな失敗の記憶なのに、懲りずに探そうとしていた。
ひと通り歩いて探したが、あのガレット店は見つからず、ベーカリーカフェなどにもそそられたが、選んだのは信州蕎麦の店だった。結果は、またも失敗、3年前の雪辱は晴らせなかった(笑)。どうやら信州蕎麦との相性はよくないのかもしれない。
遠い昔、小淵沢から小諸まで続く小海線に乗ったことがある。JRの駅で最も高地にある野辺山とか、となりの清里へも行った。当時の清里ブームはものすごくて、駅前はまるで原宿のような感じだったっけ。時系列なら狩人のあずさ2号とほぼ同時期のことだったと思う。いまの清里の駅前は荒廃し、シャッター通りになっていて、日曜日なのに誰も歩いていなかった。時の流れは残酷だが、ブームの終焉は、新たな再生のスタートでもある。
今回滞在するこのホテルも、バブルとともに崩壊し、再び再生したホテルだ。圧倒的なスケールのブライダルでも有名だが、最近では、ファミリーをターゲットにした様々な施設や企画イベントが充実していて、孫にも両親にも、ジジババにも楽しい施設に変貌した。さぁ、孫たちと約束したアスレチックに出かけることにしよう。