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2018年03月30日

青春のかけら「壊れたラーメン自販機」

選んだ大学の特徴のひとつに「学生寮」があった。山奥のキャンパスから5分ほどの山の斜面に、その学生寮があった。築5年で鉄筋コンクリート6階建ての、一見するとマンションのような建物だった。東寮、南寮、北寮の三つの建物を連絡棟でつないだ巨大な「男子寮」だった。三つの寮には、それぞれ12部屋あって、ひと部屋の住人は12人だった。つまり500人近くの寮生が暮らす大きなコミュニティーだった訳だ。ひと部屋12人とはいっても大部屋ではなく、3つの勉強部屋(机4つ×3室)と、4つのベッドルーム(ベッド3台×4室)を12人の単位で使うスタイルだった。
僕は「南寮8号室」の1年生だった。この寮は1年生しか入居できないのだが、ひと部屋には必ず先輩として「二人の2年生」が残っていて、歴代の先輩たちから伝わる「部屋の伝統」や、ライバルである3つの寮の個性などを、新1年生に伝えていくのが「ならわし」だった。ちなみに僕の部屋のコンパでは、ビールや日本酒を「洗面器」で回し飲みする儀式が伝統だったり、使う日本酒は「浦島太郎」という名前の安酒でなければならなかった。年に一度の「寮祭」の出し物も部屋によって決まっていた。

連絡棟には、大浴場や大きな食堂があり、朝と夜は事前購入したチケットで食事することができた。たしか1回150円ほどの料金で定食が食べれたと思う。その食堂にはたくさんの自動販売機が設置されていて、日曜日や、深夜、そして盆暮れなど、食堂が休みの日に活用されていた。うどん、ラーメン、ハンバーガーなど、当時としては最新の自販機ばかりだった思う。特にラーメンは、ボタンを押してから「湯切り」する本格的なもので、大きなチェーシューが特徴だった。
学生たちが帰省して静かになった、ある年末のこと。深夜に館内放送が流れた。「食堂のラーメン自販機が壊れて、ラーメンを作り続けているので、残っている寮生は集合せよ」という内容だった。むろん全力疾走で食堂に向かい、どんどん出てくるラーメンをみんなで順に食べ続けた。何杯かお替りできたと思う。もちろん無料だ。

少し前まで、これらの自動販売機はあちこちのドライブインで見かけた。しかし急激に減少した。きっと衛生面の問題などがあるのだろう。先日のこと、収集家が保存していた「ラーメン販売機」を修理し、復活させたドライブインの話をテレビで見た時、この記憶がよみがえった。これからしばらくの間、どこかの自動販売機コーナーを見るたび、ラーメン販売機を探すに違いない。

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