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2019年11月08日

遠い記憶「中学校のキオク」

5月のある日、中学校の時の同窓生から、自宅に電話がかかった。唐突な電話だった。もちろん相手の顔は思い出せない(笑)。野田中の創立70周年記念の行事として、同窓会を開くらしい。僕にとっては初耳だ。そのため案内状を出すので、名簿の住所の確認をしている、とのことだった。
桜丘27期の仲間の中には、自分の出身中学校の同窓会の世話人をしているメンバーが何人もいる。彼らの中学校同窓会のことを聞くたび、何やら羨ましい反面、僕にとっての中学校時代の記憶が、とても希薄なこともあって、すこし他人事のような気がしていた。この記念行事の同窓会が、同学年だけのものなのか、野田中OB全体のものなのかは、わからない。もし同学年だけなら、出てみたい気もする。だから、中学校の記憶を探してみることにした(笑)。そして少しだけ思い出した。

野田中出身の悪友K中くんとは小学校の時に出会ったのだが、中学校の3年間の記憶はない。僕は空白の3年間と呼んでいる(笑)。クラスも一緒になったことはない、まったく交流はなく、桜丘の入学時に、ようやく3年越しに再会したような印象がある。ただ、彼とは中学校の美術の時間が一緒だったことを覚えている。名前は忘れてしまったが美術の某先生が、僕たち二人の作品に興味を持ってくれたみたいだった。作品とは言っても、中学校の授業だから、水彩の風景画とか静物画のスケッチとか、版画や彫塑だったのだと思う。
先生はしばしば、みんなの前で二人の作品を引き合いに出し、解説しながら授業を進めた。別に打ち合わせしていた訳ではないのだが、彼が細かな線を使って作品を仕上げるとき、僕は大胆に太い筆だけで描いていたり、彼が大胆な技法で大作を作るときに、僕は小さな世界の細かなことをやっていたり、そんな比較ができたのだろうと思う。共通していたのは、二人とも、当時のフツーの中学生の模範生みたいなことをやらずに、個性みたいなものを作品に出していたのだろう。先生は、二人をライバルのように扱い、とにかく僕たちをよく褒めてくれた。二人とも才能があるんじゃないかな、などと勘違いさせ、その気にさせてくれたのだった。二人とも、褒められると木に登るのは、その時からのようだ(笑)。でも、今のところ中学校の記憶は、これ以外に思い出せない。

そんな僕は、2年ほど前に「桜丘27期の野田中同窓会」というおかしな企画を思いついた。27期の中の野田中出身者だけが集まる小さな同窓会の企画だ。27期の仲間の中から対象者を探していて、彼とか彼女が、野田中だったのか、と驚いていた。記憶を封印した僕は、そんな失礼な野田中出身者だ。申し訳ない。そして前回のA面の2次会の時に、女性たちの都合を優先して、どさくさに紛れて、日程を仮決定した。僕のスマホのメモによると、この企画の予定日は2019年11月某日、なぜか木曜日のお昼に、そして富山でやることになっていた(笑)。
幹事を引き受けた僕だったが、現役のシゴト人で、大事な仕事が入ったこの日の日程を空けることはできず、かと言って、誰かに幹事を丸投げすることも失礼な気がして、ズルズル時間が流れた。きっと皆んなは企画の発表を待っているはずだ。結局、一番楽しみにしていた(と記憶している)富山在住の同窓生某に連絡を取り、詫びて、いったん中止とし、日程を含め再検討する旨を伝えた。幹事としては最低の失態だった。みんな、ごめん。反省した僕は、その日から、次のアイデアを練り始めている。でも結局は平日に動ける幹事を探すことになりそうだ。今度の忘年会で、また相談しなくちゃならないな。

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