散歩の途中で「隣の藤の花を思い出して」
今回は「藤の花」にまつわる、少しだけ寂しいお話だ。で時間が30年ほどさかのぼる。
家を建てようと思った頃、住宅メーカーに土地を探してもらった。まだ若くてお金もないのに、アレコレ面倒な条件を付けていたと思う。日当たりがいい角地だとか、子育ての環境がいいところとか、生活に便利とか、きっとそんなことを言ってたんだろう。で結局、この住宅地を選んだ。当時は県の新興住宅地として名前だけは知っていた。団地の中に小学校もスーパーも銀行もあった(当たり前だけど)。だから、僕は通勤時間と引き換えに、ここを選んだ。勤務地からは、めちゃくちゃ遠かった(笑)。
土地として気に入った理由のひとつが、公園の隣だったことだ。きれいな芝の中にレンガの歩道があって、その真ん中に「藤棚」が作られていた。ブランコや滑り台もあったし、木々も植樹され、公園の周囲にあじさいがたくさん咲いていた。これならまるで自分の庭のように使える。
その藤棚は、コンクリート製だった。いわゆる中央に藤の木が植えられて、コンクリートのパーゴラに、藤が枝を伸ばして日影を作る感じだ。その下にベンチもある。僕たちが住んだ年月とともに、木々は大きく伸びて、藤の花は季節になると美しく咲くようになった。
ところが、住民が高齢化するのと同じように、公園の設備も、次々に寿命を迎えるようになっていった。遊具は使用禁止と修繕を繰り返しているが、植栽はあまり手入れされない。少し前から、藤棚のパーゴラは周囲にテープが貼られ、立入禁止になっていた。おそらくコンクリートが朽ちて危険になったのだろう。そしてある日、立派な藤の木は、朽ちた藤棚とともに撤去された。今はベンチだけが残っている。きれいだった公園の芝も枯れ、もはや雑草に負けて、あの美しさを見せることはない。
いつも当たり前のように身近にあったとはいえ、特別な思い入れがあるわけではないのだが、無くなってしまうと妙にしょんぼりした気分になってしまう。
先日、新聞の写真で思い出して、松任グリーンパークの藤の花を観に行くことにした。少し遠いのだが、松任の住民になったころは、家族でしばしば遊びに行った場所だ。実は30年ほど前に未解決事件があって、それ以来行っていない。記憶はほとんどないのだが、広い緑の公園で、ドーム型の温室?みたいな施設や、遊び場や、とにかく子供が楽しむような場所だったと思う。空は黄砂で曇っているが、今日は敷地をゆっくり散歩してみたい。
駐車場は広かった。散歩だからと遠くに停めて歩くことにした。巨大な水車は古くなって止まっていたが、そこから続く散策路に藤の花が咲いている。中央の池を囲むように長い藤棚が配置されていた。たしかに見頃なのかもしれないが、新聞の写真のような見事な藤の花、という訳でもない(笑)。
そう見えるのは、周囲があまり手入れされていないからだ。植栽の中に雑草がボーボーに生えている。わが家の隣の公園と同じ扱いをしては失礼なのだが、長い年月は残酷で、残念な現実を見ることになったのだろう。
丘の斜面の緑がキレイな広場もあった。でも、周囲の歩道は荒れてぬかるんでいる。子供連れのファミリーもいるが、訪れているのはみんな高齢者ばかりだ。平均年齢は60歳以上だな(笑)。ドーム型の温室だと思っていたのは、カブトムシの体験館?だった。古くてどうやらクローズしている。たくさんのビニールハウスもみんな古くて傷んでいて、一部を除いて使われてない感じだ。
で、今日の散歩は早々に切り上げることにした。ずいぶん昔に誕生した頃には、もっともっと素晴らしい施設だった記憶がある。あの藤棚(公園)は、当時から毎年欠かさず、花を咲かせ生き続けてきたはずだ。月日が流れて、訪れる人が減って静かになった今日も、きっと必死に咲いて、存在をアピールしているのかもしれない。わが家の隣の藤も、たぶん同じだったに違いないな。管理する側の補修や手入れが不足している典型なのだと思う。
健康のために始めた僕の散歩はすっかり習慣になった。季節の移ろいを感じるし、何より気分転換にもってこいだ。でも今日は、色んなことを考えさせられて、少しセンチな気分になってしまった。たまには、こんな散歩もある。