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2022年04月08日

五つの通学路を歩きながら

半年ぶりに「勇者」と「クレヨン」と「僕」の3人のハナシだ。3月のある日3人で出かけた。ちょうど「梅の花」が咲いている時期の小さな旅だ。ドライブの要素もあるし、街歩きでもある。事前の調査や準備もそれなりに綿密に頑張った。まぁ正式な目的は「ロケ」なのだが、参加した3人にとっては「50年前のあの日への旅」でもある。
勇者というのはヨシヒコちゃんのことで、クレヨンはシンちゃんのことだ。おっさん3人のハナシを書くから名前が必要で、結局今回もこう呼ぶことにした。もちろん気持ち悪いから「ちゃん」はつけない。ほかの仲間の協力も事前にもらっていた。普段ならZ団2016と書くところだが、いろいろ気を使って「Z」を控えることにした。だから彼とかあいつとか、何かと面倒な文章になってしまった(笑)。
ロケだから、動画も写真も死ぬほど撮った。とはいえ、実際にどれくらい使えるかは微妙なところだ。僕たちの実験(下見)はいつもこんな感じだ。僕は企画とコーディネーター役、カメラマンは勇者と僕、そしてクレヨンはドライバーを引き受けてくれた。

ロケ先は、いつもの仲間たちの中学校の5校だ(同じ中学出身者もいるから5校になる)。ちょっとワクワクする小さな旅だ。回った順で言えば、野田中、長田中、金石中、高岡町中(の跡地)、紫錦台中ということになる。とはいえ今の中学の校舎は新しいから、思い入れはあまりないものだ。高岡町中にいたっては移転して元の場所にはない。だから、むしろ興味があったのは「通学路」のことだった。50年前の実家はもう存在しないのだが、そのあたりから中学校までの「当時の通学路」を歩こう、そんな実験だ。
Googleマップを駆使して、現代の通学路を調べた。そしてそれを出身者に送って、当時の通学路や「記憶のポイント」をヒアリングする。中には当時片道30分も歩いて(冬は45分)通っていたケースもあった。悪友の某は、Googleマップを出力して、それに通学路と記憶のメモを書き入れて返信してくれた、感謝だ。面白いことに、当時の通学路を他人に話すときには、誰もが当時の記憶がよみがえって、色んな話になる。やはり通学路には思い出が一杯あるものなのだ。

●野田中と長田中のスライドアルバム8枚

勇者は、平和町から野田中に通った。平和町のグランドは雑草だらけで、脇の桜並木も、もう老木って感じだ。彼は自分が通った保育園を見つけると、さっさと車を降りて歩き始めた。中学校よりもっともっと古い記憶が蘇ったようだ。野田中の近くには、通称「サンカク」という1km?ほどのランニングルートがあって、部活では何周も走らされた記憶がある。若草町?あたりには路地が多くて、帰り道ルートはいつも違っていたっけ。通った銭湯はもうなくなったようだ。
クレヨンは、金沢駅の真裏に住んでいたそうだ。当時の神社が残っているが自宅跡は駐車場になっていた。ここから長田中まで歩くのは、さぞ遠かっただろう。当時はほとんど何もない田んぼ道で、冬の吹きっさらしは大変だったらしい。僕たちはもちろん車で移動した(笑)。彼の記憶の大部分は通学路の途中にあった大きな工場や同級生の家のことだった。記憶ポイントの中央市場には当時の記憶が残っているらしく懐かしそうだった。
昼めしに選んだのは大徳あたりの八番ラーメンだ。ある意味これも懐かしい。

●金石中と高岡町中のスライドアルバム8枚

金石には古くて狭く、少し曲がった道が多く残っているように思った。こういうのを港町の風景というのだろうか、とても魅力がある風情だ。あちこちで「旧町名の復活」を思わせる記念碑や公園を見つけた。地図で見ると知らない町名がたくさんある。あいつは、こんなルートで中学へ通っていたんだと、学ラン姿の彼を想像していた。昔はここを市電が走っていたらしい(中橋-大野港の金石線かな?)。その道は決して広くはないので不思議な気がした。
移転した高中の跡地は金沢市文化ホールになっている。玉川町商店街から通ったGさんは「痕跡は何もない」と言っていたのだが、記念碑(高岡町中学校跡地碑)があった。建物の脇の木々の裏にポツンと立っていた。鞍月用水に沿って歩いて、小さな橋(尾山橋というらしい)を渡り、ゆるい坂を上ると、正面に尾山神社が見えてくる。このあたりは今では立派な観光ルートだ。きれいな散策路になっている。
カメラマンの二人は、それぞれ適当に車を降りて勝手に歩くから、ドライバーのクレヨンは大変だ。だから彼がいなければ、こんなに効率よく回ることはできなかったと思う。あんがとね。

●紫錦台中のスライドアルバム8枚

犀川大橋から紫錦台中までの彼の通学路は、往路と復路が違っていたらしい。往路は、犀川に並行して進み、水溜町の友人と一緒に、新竪町、本多町、県工前、そして大聖寺坂を登って出羽町、紫錦台中。そんな30分ルートだったらしい。帰り道は部活の仲間たちとクタクタになりながら、当時無料の兼六園を通って、知事公舎、柿木畠そして片町の裏道を抜けたのだそうだ。途中に出てきた目印の店の名前がとても懐かしかった。往路も復路も見どころ満載のルートだ。でも体力の限界に近づいた今日の僕たちには辛いルートだ(笑)。
仕事に戻るクレヨンとはここでいったんお別れだ。県工前で落としてもらった勇者と僕は、大乗寺坂をゆっくり登っていった。今はきれいな坂道公園に整備されている。小立野台地から見える街並みがきれいだ。でも登るのはしんどいよね。紫錦台には旧校舎が博物館として残っていた。三尖塔校舎と呼ぶらしい。その前庭も整備されていて、玄関の左右に白梅と紅梅がきれいに咲き誇っていた。ある意味でとても羨ましかった。

●おまけのスライドアルバム4枚

復路(彼の帰り道)の兼六園では、ちょうど雪吊りの撤去作業の最中で、梅林あたりでは様々な「梅の花」を楽しめた。でも当時はなかったエリアだと思う。桜の時期がやはりきれいだろうなぁ。勇者も僕も「下半身」がフラフラだ。勇者は階段を降りるのも辛くなってるし、僕は平地でつまづいていた(笑)。
真弓坂口から広坂通りを歩き、香林坊でようやく休憩した。某ホテルのラウンジで、反省会だと言いながら、おっさん2人は大きなフルーツタルトを頬張った。自分のルートもそうだが、仲間の通学路や思い出話を聴くのは、けっこう楽しいものだと思った。撮った写真を眺めながら、仲間LINEで報告した。まぁ画像はたくさんあるから、4月の花見のときのみんなに見せるつもりだ。さて、これからクレヨンと再会して3人のお疲れ会になる。たぶんビール1杯でノックアウトだ(笑)。

読者からすれば、何の企画?、ロケって何?、と不思議に思うのだろう。まあナイショとしか言えないのだが、これも映像版の「秘密のアレ」のひとつってことかなぁ。陽の目を見るのかどうかも分からない(笑)、何度も言うが、僕たちの実験(下見)はいつもこんな感じだ。下の編集動画は、そのささやかな予告編でもある。

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