K-Dreamの時間10「どうしてドラムなの?」
今回の「K-Dreamの時間」も引き続きM岡君のパートです。
さて、高校時代の彼を知る人からすると、フォークギターを抱えて、上手に歌う彼の印象が強いと思います。編集人の僕もそんな一人です。だから、A面同窓会のパーティーで、彼がドラムを担当している姿を初めて見たとき「どうしてドラム?」と、思ったのは間違いありません。今回は、そんなエピソードの一部が出てきます。以下は彼の原稿です。
写真部の先輩と音楽談義
高校の写真部の先輩にM島さんという軽音楽の話が通じる方がいました。暇があるとその先輩の家に行き楽器の話やミュージシャンの話をしていたものです。そのころすでにM島先輩はオリジナル曲を作詞作曲していました。最初で最後のコンサートの中でM島先輩のオリジナル曲「新しい朝」を歌わせてもらっています。
M島先輩は金沢大学の工学部に進学し、YFA(ヤング・フォーク・アソシエーション)に入りました。金大生になっても、先輩は、自宅や金大の部室に招き入れてくれました。そこでは、新たな先輩たちとの出会いがあり、とてもよくかわいがってもらったような記憶があります。
ドラムを始めたきっかけ
高校2年生の時はH田誠くん、M林邦夫くんと仲良くなり、H田くんの家にもよく遊びに行きました。そこにはなんとドラムセットが置いてあり、H田くんは消音せずに練習しているとのこと。興味があった私は、H田誠君にドラムセットの基本を教わりました。ドラムセットのある環境はとてもうらやましかったものです。
そのころ準は、今のバンドメンバーと出会い、バンドづくりの下地を着々と進めていたように思います。その後は、ドラムに触る機会もないまま高校生活を送っていました。高校の卒業が近づいてきたある日、N畑準から「最初で最後のコンサート」をしたい、と提案がありました。メンバー選びも、会場押さえも、プロデュースも、ほとんどが彼がしてくれたと記憶しています。「準と私のデュエット」と「N原正泰中心のバンド」をやることになりました。「米原バンド」の誕生です。
メンバーとパートは、●ギターとボーカル:N原正泰、●ギターとボーカル:N畑準、●ベースとボーカル:T野和夫、●ドラムとボーカル:M岡陽一(私です)。ここから本格的にドラムをやることになりました。私がドラムになった理由は、H田誠君の家でドラムを触ったことがあること、そしてメンバーの中で一番ギターが下手くそだったからです。
初めてのバンド活動
思えば、あの短期間でよくあれだけの数の楽曲を練習したもんだと思います。私は、ドラムの基礎を習ったこともなく、見よう見まねと、耳コピーのみ。当然未だに楽譜は読めません。若さと勢いだけで練習をしていました。
金大YFAの部室には黒いYAMAHAのドラムセットがありました。M島先輩の配慮で、時間帯によってですが、それを自由に使わせてもらえました。道具はとても立派でしたが、全く技術がないので、ひどいテンポとひどい音質でした。毎日両腕が筋肉痛だったのを覚えています。その部室を深夜に借りて朝まで練習しました。時々覗いてくれる警備員のオジサンや金大の先輩たち、とてもやさしかったなと記憶しています。そー言えば部費も払わずよくタダで使わせてもらったなと、感謝しきりです。
チューリップがお手本でした。バンド構成としてはキーボードが足りませんが、四人で一生懸命練習しました。右腕が筋肉痛で痛みと闘いながら練習していたなという記憶しかありません。
あっという間にコンサートの日になり、あっという間にコンサートは終わってしまいました。ありがたいことに、金大のM島先輩がカセットテープに録音してくれました。今はCDにして大切に保管してあります。今回、久々にこのCDを聞くとになりました。18歳バンドはエネルギッシュで、とにかく下手くそでした・・・笑。当日参加してくれた他の同級生バンドの方々にもとても感謝しております。(次回へ続く)
M岡陽一(K-Dream)