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2022年08月27日

K-Dreamの時間11「ちょっとした事件簿」

シリーズ「K-Dreamの時間」の11回目です。今回も、M岡くんの思い出話が続いています。どうやら今回は高校を卒業したあとのエピソードのようです。
今年の春だったと思います。M岡くんと原稿の件で打合せしたことがあるのですが、彼は「バンドを続けていると色んなことがあってねぇ・・・」などと、ちょっと笑いながら呟いたことがありました。もちろん編集人の僕は、それを見逃さず、ぜひ書いてほしいと、念を押したのでした(笑)。以下には、そんな彼のお話がでてきます。以下は彼の原稿です。

コンサート(最初で最後のコンサート)が終わって、達成感と喪失感に見舞われました。更に追い打ちをかけるようにメンバーがみんなバラバラになりました。N畑準は兵庫へ、Y原正泰とT野和夫は東京へ。私は浪人生となり一人金沢で浪人生活を送ることになりました。ここから数年間(5年以上)バンド活動はできませんでした。夏休みとかの帰省時に集まってやったかなぁ・・・。記憶が・・・。
そのころ、今と違って通信手段は手紙でしたねー。N原正泰からよく手紙をもらいました。このメンバーでバンドを続けよう。そして、いずれプロになろうという勢いのある時代でした。バンドメンバーと活動できない期間に、私は先に就職し、生活環境が大きく変わりました。そんな中、金大の先輩方とのお付き合いは続き、いろんな音楽活動に誘われました。

ポプコン事件
ある時、金大のM島先輩から、ヤマハのポプコンにドラム&ボーカルで参加しないかとお誘いがありました。自信がなかったので、一度はお断りしましたが、是非にと言われ参加することになりました。不安は的中し、本番で大失態をやらかしてしまいました。そのせいもあってか、しっかりと予選落ちでした。その後、メインボーカルで作詞作曲者であり、今回の応募者のK藤先輩とは口をきいていません。
やらかした失敗は今でも鮮明に覚えています。スネアドラム響き線を入れ忘れ、最初の一打が間の抜けたポンという音に。慌てて響き線を入れましたが後の祭り。自分の中の動揺を抑えきれませんでした。挙句、コーラスの音も思いっきり外しました。泣きそうでした。動揺はリードギターを弾いていたM島先輩にも伝わり、間奏の時にM島先輩までギターの音を外してしまいました。終わった後のK藤先輩のがっくりと肩を落とした後ろ姿は、今でも忘れられません。

ベルセル事件
別の話になりますが、ある時突然、同級生のE子から電話があり、頼みがあるとの事。話を聞くと、竪町に新たにできた商業ビル「ベルセル」に知り合いがいて、「ベルセルの歌」の歌い手にと、私をプロデューサーに推薦したので、そのプロデューサーに会いに行ってほしいと言われました。
ポプコンの事があったので一度は断ったのですが、これも是非にと言われ承諾してしまいました。結果は不採用になってしまい、自分が残念というより、E子に申し訳なかったなと思いました。実はそのころは仕事(ミスタードーナツ)中心の生活になっており、歌にもあまり気持ちが入らなかったように思います。もっとギラギラした思いがあったら、人生変わったかも?いやいやそんなことはありません笑。
でも音楽を聴くのは相変わらず好きで、音楽を聴くための環境を整えるために、当時で35万円もする山水のステレオを、初めてのローンを組んで買いました。もっぱら聞くのが専門になりました。一時期勘違いで、本気でプロのミュージシャンをと思ってましたが、完全に断念しました。

オフコースとの出会い
高校を卒業しても金大の先輩との交流は続いていました。その先輩たちのコンサートがあるというので、聞きに行った時の事です。そこで、ある先輩の歌ってくれた歌に衝撃が走りました。ギターの弾き語りでしたが、普段はだみ声で低い声の先輩が、とても澄んだきれいな高音で歌ってくれた歌に聞き入ってしまいました。初めて聞く歌なのに心が揺さぶられました。
後から先輩に誰の歌か教えてもらい、オフコースというグループの「もう歌は作れない」という曲だと知りました。これがオフコースとの出会いでした。その後はアルバムを買って、毎日のように聞き続けたのは言うまでもありません。(次回へ続く)
M岡陽一(K-Dream)

(編集人から)
実は、事前にこの原稿を読んだN畑くんから、オフコースにまつわる、このときのエピソードが届きました。編集人の僕にとっては、ぜひ紹介したい内容なので、ここにインサートすることにします。N畑くんからのアンサー原稿なのですが、小学校からのお二人の「阿吽の呼吸」みたいなことかもしれません(笑)。以下、野畑くんの原稿です。
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当時神戸にいた私は大学の夏休みに金沢に遊びに来て友人たちの家を泊まり歩いていました。M岡陽ちゃんの家にも遊びに行き、彼の家の階段を上がっていると、オフコースが流れているのが聴こえてきました。私は嬉しくなって、「おっ!オフコースやん!」と言いながら彼の部屋に入っていきました。彼もオフコースをわかってくれて嬉しそうでした。
その頃のオフコースは小田さんと鈴木さんの二人の時で、北陸や関西ではオフコースはまだメジャーではありませんでした。そんな状況の中、まして金沢と神戸と別々だったのに、お互い同じ音楽を聴いていた事を知り嬉しくなった事を、今でも鮮明に憶えています。
N畑準(K-Dream)

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