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2024年05月24日

粋な浅草っ子を感じる早朝の散歩

春の浅草散歩その3
最近は早起きさんになった。若い人なら「私はショートスリーパーなの」とか言うのだろうが、僕の場合は単に年齢がそうさせるのだと思う笑。この朝は5時過ぎに目が覚めた。さっそくカーテンを開けて浅草の朝日を探したのだが、すでに太陽は高い笑。でもビルのすぐ上だから、まぁ良しとしよう。
この日の集合時間は、なんと早朝5:50らしい。ホテル主催の朝のアクティビティー(宿泊客が予約参加する企画ツアー)に参加することにしたのだ。団体行動が苦手な僕にとってはとても珍しい。

このアクティビティー(ツアー)にはちゃんと名称がある。その名も「粋だねぇ、明けの浅草さんぽ」だ笑。まぁちょっと人を食ったようなタイトルかな。参加するまで意味不明だった。こんなツアーに参加するのが「粋だねぇ」なのかなぁと思ったりした。
事前に調べてみたら、なかなか面白そうだった。ほぼ観光客がいない早朝の浅草寺を、ホテルの若いスタッフの解説付きであちこち散歩するツアーだ。浅草寺や浅草にはたくさんのトリビアがあるから、それをみんなで楽しみませんか?、まぁそんなことだと理解した。
僕もそうだがこんな年齢になれば、誰もが「浅草は行ったことがある街だ」「知ってる街だ」と言うと思う。僕が少し違うのは、以前と違って今の浅草には、現代人を引き付ける不思議な魅力(エネルギーかな)があると思うことだ。「知らない浅草があるなら知ってみたい」、まぁそんな単純な興味だった。

知っているようで知らない浅草
集合場所はホテル屋上(14階ということかな)のルーフトップテラスだった。この屋上からは眼下に浅草寺が見下ろせる。こんな時刻だから境内の人は少ないのが見てとれる。
さて、定刻前には参加者(4組10人くらい)が揃った。そして時刻ギリギリになって、一人の変なやつ(失礼、少々かわった服装の若い男性)が飄々とやってきた。
名前を名乗り、自分がツアーのガイドだと自己紹介する。実はこの企画を作ったのはそもそも彼らしい。企画のために浅草の様々な人たちを訪ね、たぶん自身も懸命に学んで、浅草が(浅草っ子が)さらに大好きになった。そんなピカイチの浅草オタクだと、参加者は途中で知ることになる。
さっそく、このテラスから見える浅草寺境内の左下に注目して下さいね、といい始めた。そこにあるのは鐘楼、つまり朝6時になると「明け六つの鐘」を打つのだそうだ。江戸時代から続く「時の鐘」らしい。見ていると僧侶が鐘楼に上り何やら手を合わせている。周囲に立っているのは浅草で暮らす人たちで、つまり彼らの日課なのだ。
6時ジャストにゴ~ンと、けっこう大きな大きな音が鳴り響く。彼のハナシは江戸時代の9か所の「時の鐘」のことや当時の暮らしの話題にまでつながっていった。そんな小話にちょっと興味がわいた。
さぁ約1時間のツアーの始まりだ。もしかすると、この無料の企画は結構面白いかも、と直感した笑。

ここからは散歩ツアーのハナシを書くのだが、これがホントに面白いのだ。とはいえ、ホテルにとっても、発起人でありガイドでもある彼にとっても、とても大事な内容だから詳細を書くわけにはいかない。無料とはいえ、ホテル宿泊者だけのサービスだからね。書けるのはまぁ概要ということかな。
浅草寺の「二天門」から境内に入り「浅草神社」「本堂」と進む。それぞれの場所の隅っこで立ち止まって解説するのだが、若い彼のトークは実に軽妙で面白い。例えが現代の事象やコトバなのが楽しいのだ。
まず浅草寺の由来や歴史、境内にある浅草神社(三社祭で有名)との関係なんかの伝承バナシだ。そういえばお寺の中に有名な神社があるという違和感も、浅草っ子が三社祭りをホントに大事にする理由も、な~るほど~、とよく理解できた。
ちなみに三社というのは3人の神様のことだった。そもそも僕は、三社祭は浅草の三つの神社の合同の祭り?、と勘違いしていたから、浅草の皆さんには申し訳ない気もした笑。浅草は地域の人たちが観音様(浅草寺)を愛し守り続けた歴史が今も息づいている街なのだ。
次は西境内にある影向堂(ようごうどう)とその境域だった。たぶん観光客は行かない一角だ。ここでも彼の解説トークは絶好調に冴えわたる笑。そして、宝蔵門(仁王門)、五重塔、仲見世通りと、それぞれのトリビア解説が進み、最後は雷門(風雷神門)でツアーが終了した。時間にして1時間ちょっとなのだが、とても価値ある時間だった。
●この散歩ツアーのアルバム(スライドして右へ)

ちなみに早朝ツアーだから、あの仲見世はシャッターが降りている。でも両サイドのシャッターには、三社祭やほおずき市など浅草を代表する行事のイラストが克明に描かれていた。営業時刻前だから見れる景色もあるのだ。
浅草は江戸時代から何度も大火に見舞われてきたらしい。火事で家財を失うのは当たり前のことだったようだ。江戸っ子はせっかちで宵越しの金を持たないと言われるが、その背景には「火事」が身近にあったから、なのだそうだ。財産があっても火事で燃えたらパ~だからかな笑。
もちろん関東大震災もあの大空襲も直撃した。でも焼野原を復興したのは地域の人たちだ。特に関東大震災のとき周辺はすべて焼けたのだが、浅草寺(観音様)だけは住民のバケツリレーで助かったのだそうだ。すごい住民パワーだ。5月のあのパワフルな三社祭の源泉はそんなところにもあるような気がする。
粋だねぇ、というのは参加者のことではなかった。浅草っ子のことなのだ。しかも良く知られている「江戸っ子」ではなく、さらに絞ってあえて「浅草っ子」なんだという。絞る理由は、ここには観音様がいるから、らしい。そういえば深川っ子とか神田っ子という呼び名もあるから、それぞれ背景には街の歴史や気質が関係するからなのかもしれない。
僕たちにとっては早朝ののんびり散歩だが、横を住民たちが(せっかちに)早足で通っていく。浅草っ子にとっては浅草寺に手を合わせ、すぐに戻るのが朝の日課なのかな。せっかちな僕はちょっとだけシンパシーを感じる。

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