toggle
2021年06月25日

舌の記憶「銀座の恋の物語」

1999年7月になっても何も起こらなかった。人類が滅亡するという予言は外れ、無事2000年を迎えていた(笑)。その年の冬、僕は南青山(だったと思う。もしかすると六本木だったもしれない)の人気レストランで、ある人物に呼び出され、待ち合わせしていた。
そのレストラン「N●BU」は、ビバリーヒルズの人気店で、寿司をベースにした革新的な和食店で、ハリウッドセレブ御用達の店だった。店名はそのオーナシェフ(日本人)のニックネームのようだ。ハリウッドの大物俳優Dニーロとの共同経営で成功したオーナーシェフは、日本のこの店を皮切りに世界中の大都市に出店していった。この「N●BU東京」の料理は素晴らしくて、一世を風靡し、日本中にN●BU旋風を巻き起こした伝説のレストランだった。もちろん僕は初めてで、待ち合わせ場所がここと知って、とても嬉しかったと思う。

その日の待ち合わせの相手は某広告制作会社の社長で、おしゃれで食いしん坊で遊び上手な、そして何より新しいものが大好きな、ナイスミドル(年齢は僕より4歳くらい上)だった。まだ早い時刻で、僕たちくらいしか利用客がいない。某社長は何度か使っている様子で、黒服からアレコレおすすめを聞いていた。どうやらコースではなく単品で楽しむらしい。
そして、俳優Dニーロのお気に入りという「ブラックコッドの味噌焼き」をオーダーした(たしかそんな名前だったと思う)。出てきたのは銀ムツの西京焼きで、上にハラペーニョ(唐辛子)、軽い柑橘系のソース、とにかく盛り付けが美しいひと皿だった。要するに、この店の料理は、和食がベースだが、メキシコやペルーの食材やスタイルを巧みに加えていて、ハリウッドセレブが大好きなレストラン、という感じだった。

えっ、もう終わるの?、と思うくらい、食事を軽く切り上げ、某社長は、その店のBARコーナーへと席を変えた。もう少し食べたかったなぁ、とは思ったのだが、仕方ない。食事が終わって、ウエイティングバーで珈琲でも飲むのかな、と思った。
差し出されたメニューは2冊。ひとつは通常のBARメニューだが、もう一冊は「葉巻」だけのメニューだった(今ならシガーバーのメニューということかな)。どうやら社長は葉巻好きで、ここは食後にくつろぐアフターバーらしい。もちろん僕は葉巻の初心者だった。
初めての僕のために初心者用の1本を選ぶと、黒服が作法にしたがって先端をカットし、独特の手順で火をつけ、差し出してくれる。煙を肺に入れるなよ、という社長のコトバの意味を実行できるまで、少し時間がかかってしまった(笑)。

さあ次は、銀座の恋の物語だよ、O島くん・・・。自分の葉巻を吸い終えた社長は、笑顔でそう言いながら、さっさと席を立った(笑)。銀座の恋?、次はカラオケかな?、この社長は歌が大好きだ。スナックに行けば女性にもマイクを持たせてデュエットする。一方の僕はカラオケが大の苦手だ。僕は歌わないが社長が気分よくなればいい。仕方ないからタンバリンかマラカスで、盛り上げるしかないな(笑)。
彼は、預けてあったキャメルのコートをはおり、軽やかにタクシーに乗り込む。行先は文字通り「銀座」だった。降りたビルの前で黒服に声を掛け、エレベーターに乗り込む。それを見送る黒服は襟元のインカムで連絡を取っている。
そして一軒のドアを開けた。こんな僕でも気づいた、ここは高級クラブだ。黒服からの連絡で、美女の集団がロングドレスで迎える。凄い迫力で、様々な香水の匂いが僕を包む。
銀座の恋って、カラオケスナックじゃないんだな。なんだろ、あぁ、そういうことね、息を吸うことを一瞬忘れていた僕は、少し身構えてゆっくり息を吐いた(笑)。もちろん、この店にはカラオケもタンバリンもない。僕は席に着いても、しばらくロックグラスばかり眺めていた。気を抜くと、左右の女性の別のところに目が行ってしまう。

Other information