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2020年01月24日

年越しそばの雪辱戦

この日は雪辱戦だった。ちょうど4年前のこの日、ここで年越しそばを食べようと気軽に向かった僕たちは、信じられない行列を目の当たりにして驚いた。いや、驚きを通り越して、ある意味、感動したことを覚えている。その蕎麦屋には200人を優に超える行列が付いていたのだ。新しい施設や話題のトレンド店に並んでいるわけではない。並ぶ理由は、美味しい蕎麦や、年越し蕎麦という「もの」ではなく、この店で食べる「こと」なのだと思う。この店でないとダメな理由が、一人一人にあるのだ。一方で、甘く考えていて、待つほどの心構えもなかった僕たちは、行列に圧倒されて、しっぽを巻いて退散するしかなかった。それが神田淡路町の名店「かんだやぶそば」だった。

時代劇に出てくるように「蕎麦」が大衆文化になったのは江戸時代のことらしい。江戸生まれの「藪」、大阪が起源と言われる「砂場」、信州出身の「更科」、このみっつが老舗御三家と言われるのだそうだ。さらに「藪」には3軒の「藪蕎麦御三家」があるらしく、この「かんだやぶそば」は、その中のひとつで・・・・もう説明も面倒くさい(笑)が、まぁ江戸時代から続く独特の大衆文化なのだろう。
もちろん名前だけは知っていて、全国に「のれん分け」を思わせる店名の蕎麦屋がたくさんある。だからこそ、その源流というか、起源となった江戸の老舗に、そしてその「年越しそば」にとても興味を抱いていた。だから「こんどこそは」の思いで、この日再びやってきたのだった。

行った時間がよかったのか、この日に並んでいたのは道路に20人ほどだった。実際にはさらに軒下に10人ほど、店内の待合に10人ほど、合計40人ほど並んでいたことになる。(その後も行列はどんどん長くなるのだが)。冷たい小雨が降っていて寒かった。行列の途中には簡素だが炭火の火鉢が2か所用意され、ささやかな暖を取ることができた。店の建物や植栽はとても手入れされていたり、また時代を感じる看板や行灯、のれんなどが実に巧妙に配されて独特の美意識に貫かれていた。そして待つこと1時間、ようやく蕎麦にありついた。そして、ここに流れる独特の空気感を知り、なんとなくだが、何時間も待つことの理由が分かった気がした。

80席ほどあるだろうか、店内はもちろん満席だ。レトロなユニホーム姿(白いエプロン、三角巾、白いソックスにサンダル)の女性従業員が、キビキビと働いている。厨房も合わせれば、従業員はざっと30人くらいいる(笑)。オーダーは紙に書かれて、なぜか帳場の女将に渡される。帳場は厨房の横にあって、着物姿の女将がそれを1枚ごとに読み上げる。
この読み方が面白い。「せいろう~にま~い(2枚)、さん番さ~ん(卓番?)・・・」。まるで宮中の歌会で和歌を読み上げる、あの口調とリズムだ(笑)。こんな独特のスタイルに接して、なぜか、ふと「ニッポンっていいなぁ」という言葉が浮かんだ。
寒さのせいもあって、注文は天ぷらそばと鴨南蛮そばにした。天ぷらは才巻海老を衣で包んで高温で揚げたカリカリのかき揚げ。鴨は上手な火入れで柔らかく旨いし、長ネギのざく切りに柚子の風味が素晴らしいバランスだった。東京は味が濃い、とよく聞くが、それはつけダレのことで、温麺の出汁は、抜群に旨くて、薄味の僕でも最後の一滴まで飲み干せる。

年越し蕎麦という思い込みが強かったせいか、あちこちの席で日本酒を飲んでいる人が多くて、とても驚いた。やっぱり、これが蕎麦通の使い方なんだろう。日本酒の銘柄は菊正宗、店内にはその菰樽(こもだる)が積まれていた。次回はいつになるのか分からないが、菊正宗に焼き海苔、蕎麦味噌あたりで一杯やって、せいろで仕上げる使い方に挑戦してみたい。あっ、ここでは「せいろ」じゃなくて「せいろう」と呼ぶそうだ。
ちなみに、丸ノ内線の淡路町駅から、ここへ向かう途中に「まつや」という有名な蕎麦屋がある。こっちは、あの池波正太郎が愛した有名な店だ。次回は、彼の「蕎麦屋の使い方」を予習して、大人っぽく過ごしてみたいと思う。

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