toggle
2020年10月09日

香林坊のサラメシ

とある木曜日の昼頃のことだ。クルマで午後の打ち合わせに向かっていた。車載テレビがNHKになっていて「サラメシ」という番組をやっていた。後から知ることだが再放送だった。N井貴一のナレーションが軽妙で楽しく、その後はオンタイムで、ときおり観るようになった。タイトルどおりで、いろいろな職種の人たちの「サラリーマンの昼メシ」を、多面的に取材したような番組だ。
どこにも、誰にも、働く人にはそんな「お昼のひととき」がある。年齢とともに使う店が変わったり、新婚の手作り弁当が、いつしか外食に替わったり、新しい店で失敗したり、馴染みの店がなくなってしまったり。そんなサラメシへの思い出は多いはずだ。
でも最近では、外食ランチを禁止する企業も多くなって、手作り弁当のブームがやってきた。愛妻弁当はもちろん、弁当ビギナーによる「男の弁当」も当たり前になったようだ。当時の僕たちの時代は、手作り弁当には、そんなに市民権もなく、というよりわざと避けて、外食ばかりにしていたように思う。変なツッパリがあったのかもしれない。

勤務地がときどき替わった僕にとってのサラメシは、「その街の記憶」かもしれない。初めの頃は香林坊の民だったから、その周辺の片町や長町あたりまでが活動範囲だ。「ぶんぷく」のかつ丼定食、「珍香楼」のもやしそば、「北京」の北京定食、「キッチン北国」のサービスランチ、「若竹」のモダン焼き、「割烹大岩」の大岩焼き、そんな店や味を思い出す。そんな店をローテーションの柱にして、サラメシを楽しんでいたと思う。それ以外にも、たくさんの店や名物料理の「映像」を思い出すのだが、もはや店名が出てこない(笑)。
そんな真剣勝負の定番メニューはどれも旨かったし、何より脇役の記憶も楽しい。ぶんぷくの「しじみの味噌汁」は絶品だったし、何よりあの笑わない女将さんが思い出深い。珍香楼のオヤジは小柄で背中が曲がっていて、やはり笑わないのだが、女性客だけに餃子を1個増量していて、それを伝えるときだけ笑顔だった(笑)。北国のご主人は巨漢なのに声が小さくて、奥さんは細く小柄で優しかった。そのサービスランチは、ランチという名前なのに、夜も(というより一日中)販売していて、夜もよく食べに行ったっけ。
先日、柿木畠を抜け道にして本多町へと向かったとき、北京の前を通った。北京は今も健在のようだ。珍香楼は移転したようだし、ほかの店はすでに存在していないのかもしれない。

当時、食事で通っていた喫茶店もある。「ぼたん」だ。ぼたんは2軒あった。誰もが知っているのは「純喫茶ぼたん」の方で、店内で自家焙煎する本格派の老舗だった。午後になると「片町族」が集まり始め、夕方は、まるで彼らのミーティング会場のようににぎわう店だった。一方、僕が好きだったのは、その横にある「スタンドぼたん」の方だ。スタンドは「ぼたんのママ」が一人で切り盛りするカウンターの小さな店だ。おっとり、ゆっくり喋るママは、片町族という訳でもなく化粧も服装も控えめな、それなりの美人だった。
そこにはミートソースとイタリアンの2種類のスパゲッティーがあった。もちろんパスタなどという、洒落た名前は似合わない(笑)。たとえばイタリアンは、フライパンにサラダ油をたっぷり敷いて、ピーマンと赤いハムをケチャップで炒めるだけのもので、食べると口の周りがギトギトした(笑)。でも食後のコーヒーとの相性は抜群で、僕のお気に入りの組み合わせだ。あのヤケドするほど熱い珈琲のことを思い出すと、とても懐かしい。

今の僕には、そんな「普段のサラメシ」は、もうない。体調のことがあって、きちんと朝食を取り、昼は軽く済ませる、そんなことを意識して暮らしていたら、昼は食べる必要がなくなっていった(笑)。まぁ、人生の「食べる回数」が減るのは残念だが、その分、朝と夜は楽しく過ごす。
そうはいっても、仕事でときおり試食することは変わらない。今年の春先は、宅配とかテイクアウトの商品開発が相次いで、嫌というほど食べ続けた(笑)。そんな日は、夕食を抜いたり少なめにするのだが、体重計だけは残酷に現実を語る。
サラメシがそうであるように、食事はヒトの人生のひとコマだ。何気ない料理に、もう少し感謝しなければならない、な。

Other information