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2019年12月13日

ワイン会のパン職人

定刻を少し過ぎたころ、目の前に「知った顔」のおやじが座った。僕が知っているだけで、彼が僕を知っているわけではない。長いヒゲをたくわえ、長髪を後ろで縛ったサムライ頭だ(笑)。隣に座ったのは奥さんのようだ、やさしい表情をした女性だった。座ったテーブルは狭くて、僕たちを含めて6人が座るのだが、僕の目の前の髭面のサムライ頭との距離は50センチほどしかない。テーブルの脚はビールの空ケースを積んだもので、その上に板が乗せてあるだけの急ごしらえだ。聞けば、頭上にあった「木製の棚の板」を外して、テーブルにしたらしい(笑)。そんな狭い会場に定員12人が肩を寄せ合って座る、そんな小さなワイン会が始まろうとしていた。

あのパン屋のHさんですよね、と僕が声をかけると、彼は硬い表情で「そうです」と関西弁で返事をくれた。隣の奥さんも笑顔でうなづいていた。あのパン屋とは、近くにある人気のパン屋で、いつ行っても品薄で、欲しい商品を買えたことがなくて、パン屋なのに日曜月曜が休みで・・・、だけど、ソフト系が充実していて、いわゆる総菜パンが抜群に美味しくて、値段も手ごろで、ついつい行ってしまう、そんな憎たらしいパン屋(これは誉め言葉だ)のことだ。
このワイン会のためにと、彼が特別に焼いたというパンを持参していた。珍しくハード系のパンだった。僕は「職人さん」と呼ばれる人たちが大好きで、彼らの専門領域の話を聞きたくてたまらない(笑)。このパンは「ロデブ」というフランスのパンらしい。外はパリッとしていて、中には大きな気泡があって、実にふんわりして、みずみずしいのが特徴だ。確かにこれはワインにぴったりだ。実は普通のパンに比べると、水分量がとても多くて作るのが難しいパンなのだそうだ。彼曰く面倒くさいパン、なのだそうだ。「あの店は総菜パンしか作れないんだろう、と周囲に言われているような気がして、ちゃんとしたパンも作れることを知ってほしくて・・・」、53歳の髭面のサムライ頭は照れ臭そうに話してくれた。

この日のワイン会は、一般的なワイン会とは違ったものだった。つまりワインを売りにする専門店やレストランがやっているような、高額なセレクトワインのそれではなく、なんとチリワイン(Cという有名なワイナリー)だけのテイスティングだった。インストラクターは、東京のインポーターの女性ソムリエで、このワイナリーのテロワールや特徴を丁寧に説明してくれた。高い品質なのに価格が圧倒的に安い理由や、すべてオーガニックに切り替えた戦略などの話が、とても興味深くて面白かった。
飲んだのは8種類(泡2種、白2種、赤4種)で、特に自慢のピノノワール3種は、想像以上に旨くて、しかも値段を聞いて、さらに驚くことになった。チリワインは業務用で、安物の場末のワインなどという印象は覆ることになった。若い女性の説明には弱くて、すぐに信じてしまうのかもしれない(笑)。彼女は明日、駅前の某ホテルで、今度はスペインワインのプレゼンテーションをやるのだという。残念ながら僕は仕事でいけないが、次回はぜひスペインワインの話を聞いてみたいものだ。

のどを通るワインの量に比例して、僕は髭のパン職人と意気投合して様々な話をしていた。関西はパンの激戦区らしい。そこで修業し、師匠の教えを守りながら、地域の人たちに愛されるパン屋を追求する職人気質丸出しのロマンチストだった。今では、金沢の有名なパン職人たちと交流していて、あの店やこの店の苦労や戦いの話を聞かせてくれた。二人とも、ワインでこんなに酔っているのに、実は互いにウイスキー党だとわかり、嬉しくなっていた。次回からは、売れずに残ったように見えるハード系のパンも買うことにしよう。難しいパンほど、彼の執念が込められていることを知ったからだ。

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