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2020年10月30日

青春のかけら「子連れ狼と喜びの歌」

考えても仕方ないのだが、こんな状況で、年始の初詣はどうなるんだろう、ふと思った。白山さんは、まさかリモートでも始めるつもりだろうか(笑)。鬼も笑うのだろうが、一般人も笑うしかないかもな。そう言えば、各地の年末恒例「第九」のコンサートも、休止するのだろうか。あの佐渡裕さんが、自身が総監督を務める「サントリー1万人の第九」のことについて、メッセージを発信していた。クラシックの門外漢の僕に語る資格はないのだが、いろいろな「歴史」が途絶えたり、カタチを変えるのを目の当たりにする毎日だ。
年末の第九のコンサートに行ったことはない。しかし門外漢の僕は、なぜか第九の「喜びの歌」を歌える。サビの部分だけだが、確かに歌える。しかもドイツ語で歌える(笑)。ウソみたいな話だが、ホントだ。なぜならそれは、練習したからだ。鬼軍曹に特訓されたと言ってもいい。とはいえ、ドイツ語で歌えるのだが、日本語の歌詞はうろ覚えだ(笑)。日本語の方も練習していたはずなんだけどなぁ(笑)。

高校1年のとき、なぜか僕は、文化祭?の合唱コンクールに出ることになった。もちろん経緯(いきさつ)は覚えていない。1年生から3年生までの合同チームだった。だから同級生にも同じチームにいた人がいるはずだ。チームの課題曲は「子連れ狼」と「喜びの歌」だった。リーダー格は3年生の「Mさん」という女性だった。彼女が僕にとっての鬼軍曹だ。僕たちは密かに姉御(あねご)と呼んでいた。
しとしとぴっちゃん、の方は知っていたが、喜びの歌は知るはずもない。しかも、それをドイツ語で歌うというものだった。選んだ人(おそらくMさん)を恨むしかない(笑)。楽譜に、カタカナ(ルビ)がふってあって、それを何回も何回も練習して暗記するのだ。姉御の特訓は厳しかったが楽しい思い出だ。この原稿を書くとき、Webを見ながら試しに歌ってみたのだが、ちゃんと歌えた。40年以上も経っているのにすごいな。細かなことで言うと、ドイツ語のルビは、当時のものと違っているので、歌えるのは当時のルビの方だ。きっとMさん仕様なのだろう。

正直なところ、本番の当日の「歌」のことはあまり覚えてはいない。覚えているのは「コント」のことだ(笑)。そのコント(寸劇)は合唱の冒頭に入ったと思う。3年生には男性のリーダーもいた。柔道部の猛者で当時の有名人だった人だ。その人が拝一刀(おがみいっとう)に扮して乳母車を押す。中にはもちろん大五郎が乗っていて「ちゃん」と呼びかける。敵方に囲まれるのだが、乳母車の仕掛けが働き、拝一刀の剣も冴えて、敵をなぎ倒す(笑)。まぁそんな筋立てだったと思う。たしか、大爆笑でウケたと思う。演技や小道具というより、その先輩のキャラクターが一番ウケたようだ。もちろん合唱もいい出来だったと思う。結果、僕たちは優勝することができた。

その翌年のことだ。2年生になった僕は、香林坊の交差点に新規オープンしたばかりの「ミスド」の前を、たまたま歩いた。珍しくて、外から中をチラチラ見ていたと思う。そのとき、店の窓を開けて呼び止める人がいた。姉御のMさんだった。大学生になってアルバイトしていたようだ。少し化粧をしていて、オレンジ色の超ミニのユニホームがまぶしかった。「ちょっと待ってて」と言って、渡してくれたのは出来立てのドーナツだった。彼女がタダでくれたドーナツの商品名は忘れてしまったが、その後の僕の人生に影響を与える思い出のひとコマでもある。

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