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2021年05月28日

遠い記憶「若竹文庫」

ずいぶん前のことだが、僕が卒業した小学校へ行ったことがある。十一屋小学校だ。高齢の母親が、まだ一人暮らしをしている頃で、どうしても選挙に行きたいというので、投票場の小学校へと車で同行したのだ。この小学校の記憶は、ほぼ無いに等しい。場所は寺町台地の「きわ」だから、当時の校舎の窓からは、大地に根を張った「竹林」が広がっていて、その先に犀川が見渡せたような気がする。そんなことを思い出していた。
投票する住民のために、いわゆるグランドが駐車場として開放されていた。グランドの位置が違うように思う。もちろん校舎は立派な建物に変わっているし、周囲の家々なども変わっていて、とても小さく狭い感じがした。懐かしい、というのとは違う感覚だった。ただ、隣接する「神社」の社殿と、その敷地の木々だけは、当時と全く変わっていないように思えた。何本かのケヤキの木?は、当時から巨木だった印象があって、この日もうっそうとしていて、そこだけ気温が低い感じだ。当時の通学路は、表の舗装道路ではなく、この神社の裏手に続く砂利道だった。校舎の真下あたりから、75段だったか78段だったか、まぁ80段くらいの階段を登ると、この神社の裏に出る。そこから小学校へと入ったはずだ。

僕は三つの小学校へ通った。諸江、鞍月、十一屋の三校だ。町内の幼馴染たちと一緒に諸江小学校に入学した。行きも帰りも仲間たちと一緒で、楽しい悪ガキの日々だったと思う。一軒家の社宅には、祖父や祖母、そして叔父さんたちも同居していて、当時はまだ一人っ子だったから、よく遊んでもらった。そんな絵にかいたような昭和の大家族だった。
2年生の時、隣の町の鞍月小学校へ転校した。父親の会社が変わり、社宅を出たからだ。祖父母や叔父さん達とも離れることになった。新しい家では母親と僕の二人だけで暮らしていて、単身赴任の父親を週末に待つような暮らしだった。鞍月での住まいは、神社の鎮守の森の、すぐ横の小さなアパートだった。幼馴染や叔父さんたちとの騒がしい毎日が、一転してひとりぼっちの毎日に変わった。
一人遊びを覚えたのはこの頃だ。神社の敷地は僕の縄張りだった。床下や物置は秘密基地になり、あっちこっちにお宝を隠していた。境内にはたくさんの杉の木があった。そこに小刀(こがたな)で暗号を彫り込んだり、長い釘や手裏剣の的にして遊んでいた。鎮守の森は昆虫の宝庫だったし、田んぼの小川は魚が手づかみできた。魚釣りを自己流で覚えたのもこの頃だった。
当時の鞍月あたりは古くからの住民しかいなくて、僕のような「よそ者」を受け入れないような雰囲気を感じていた。ここには1年ほどしかいなかったから、結局、友達はできなかったが、けっして引きこもりでもなく、悪ガキぶりは変わらなかった。この歳になっても、楽しく一人遊びができるのは、こんな原体験のおかげかもしれない。

その後、十一屋小学校へ転校した。平和町は新しい住宅地が広がるエリアで、坂を上ると県営アパートなどがたくさん建っていた。コンクリートの4階建てが並ぶ街は未来の景色にも思えた。都会からの転勤族とか、新規参入者が多い「新しい町」だったのかもしれない。一転して、僕は「田舎から転校してきた悪ガキ」に分類された。半ズボンにソックスを履いて、おもちゃで遊ぶ子どもしかいない町に、おさがりの古着を着て、手裏剣や棒を振り回す乱暴者がいる感じだ(笑)。同級生が多かったから、みんなを引き連れて、山や川へ行ったり、ときには古い防空壕や空き家にこっそり侵入したりと、探検隊長をするような子供だった。
一方で、小学校の中のことや、勉強のこと、先生たちのことは、何も覚えていない。覚えているのは「若竹文庫」という図書館?のことだ。本が好きだったわけではない。●ンコのことだ。両手の人差し指を、口の中に突っ込んで、口を左右に広げて、若竹文庫と発音すると「ワカタケ●ンコ」と聞こえる、そんな遊びを仲間に強要していた(笑)。周囲の大人たちから、やめなさい、と叱られることばかりを、わざと繰り返すのは、当時も今も変わらないのかもしれない。僕のハナシにしばしば●ンコが出てくる源流はこんなことなのだろう。

後日談だ。原稿を書いたあと、どうしても十一屋小学校へ行ってみたくなった。まぁ写真を撮りたくなったのもあるが、あの裏の階段を登って神社へ行ってみたくなったのだ。なぜか階段の「段数」が何段だったか気になっていた(笑)。
この日、平和町から当時の通学路を歩いて、十一屋小学校まで歩いてみることにした。当時は未来都市のように見えた平和町は、いまでは老人しかいない静かな昭和の街に見える。立入禁止のような紙が貼られ、取り壊しを待つアパートがいくつもあった。通学路の墓地も、長い坂道も、曲がり角の不動尊も当時のままだ。登った階段は、今では整備されてきれいになっていた。段数は「90段」だった(笑)。毎年春になると、この竹林に「たけのこ」が出てきて「若竹」がすくすく育つのだろう。
あの神社は、社殿も巨大なケヤキも健在で、何もかも当時のままに思えた。ケヤキは想像以上に太くて、いまでは「保存樹」という看板に守られていた。手裏剣や小刀で遊ぶわけにはいかないようだ。たまにはこんなノスタルジックな散歩もいいなぁ。

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