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2022年09月24日

本の時間「谷中のルーカス・ギタークラフト」

小説のタイトルには「あの夏」と書いてある。どうやら「あの夏」ってやつは、みんなにあるものらしい。それは誰もが持っている大事な記憶のことなのだそうだ。いわゆる青春時代の「ある期間」のことで、夏という季節はあまり関係ない。何かに夢中になってのめり込んで、楽しくて充実していて、でも誰かを傷つけて、自分にも膿のような痕跡を残す。まぁそんな「ある時期」のことなんだと思う。だからその記憶には「蓋」をして、思い出すことはないし、誰にも話すことがない。なるほど、僕にも確かにそんな「夏の日」がある(笑)。
読んだ文庫本のタイトルは「あの夏、二人のルカ」という。著者は誉〇哲也さんで、僕にとっては大好きな作家さんなのだが、普段なら読まないジャンルだと思う。なにせ、手にした文庫本の帯には「大人になりたい少女、大人になりたくない少女、大人になってしまった少女、それぞれの・・・」などと書いてあるからだ。今さら、そんな「少女のハナシ」に興味があるわけがない。最初はそんな気がしていた。

今年の7月くらいだったと思う。ある日、家内が「これを読んでみたらどう?」と、珍しく1冊の文庫本(この小説)をすすめてくれた。理由は「面白いから」らしいが、舞台が「バンド」のお話だからだという。彼女にとって、夫の興味が最近そっちに向いていると気づいたから、なのだと思う。
いつごろからか「今夜は晩メシはいらない」と言って、ときどき帰宅する時刻がぐっと遅くなる日が増えていた。それは決まって金曜日のことで、遅くに帰ってくると「今日はコンビニで〇〇を買って差し入れしてきた」などと夫が無邪気に話すからだろう。夫の興味は、どうやらバンドの練習らしいが、見せる写真は、夜のレンガ倉庫のような建物とか、楽器や機材のカット、そしてマスク姿のおっさんたちの横顔ばかりだ(笑)。
A面の準備が始まったころから始まった夫の異変を、ちょっといじってみたかったのだろう。夫が口にする「K-Dream」というバンド名に、小説に出てくる「ルーカス」を重ねたのかもしれない。

この小説には複数の語り部(かたりべ)が登場してストーリーが展開する。過去のパート(女子高生たち)と現代パートを行ったり来たりしながら、登場人物たちを描く一種の群像劇で、とても楽しい。僕は、作者の誉〇さんのファンではあるが、好きなのはストロベリーナイトやジウといった、いわゆる警察もののシリーズみたいなやつが多い。実はとてもバリエーションが多彩な作家さんらしくて、若い女性を主人公にしたシリーズ(少女のハナシ)も有名なのだが、そっちには全く興味がなかった。
彼は学習院の出身で、作家になる前はロックバンドでプロのミュージシャンを目指していたらしい。ところがデビューしたばかりの椎〇林檎の才能に圧倒され、その道を断念したというエピソードが知られている。この本の冒頭には、なぜかギターの手書きイラストがあって、フレット?、ピックガード?、トーンノブ?みたいなパーツの名前が10項目ほど書き込まれていたりする。門外漢の僕には??なのだが、きっとバンドをやっていた人ならわかるのだろうと思う。この小説のアイコンのように見える。

物語は、主人公の一人が日暮里駅から「谷中ぎんざ」方向へ歩くシーンから始まる。離婚して谷中へ何年かぶりに戻ってきたばかりの女性だ。街の風景を切り取る描写なのだが、彼女の心の様相もからんで、とても巧みな構成になっている。そして、一軒の店の看板に目が行く。ルーカス・ギタークラフトと書いてあって、そこに・・・・・。まぁ残念だが、これ以上はネタバレだ。
かつて、谷中ぎんざ辺りを歩いた人は同じだと思うが、そんな細かな描写に、僕はついつい引き込まれていった。機会があったら、彼女のように日暮里駅から順に歩いて(実在しないが)この店を探してみたい(笑)。
A面の秋への移行が決まったころ、いろいろあって葛藤に疲れていた。そんなころに読み始めて、面白くなり、あとは一気読みした。まぁ、女子高生たちのバンド練習の熱くて眩しい日々を読みながら、刺激をもらったのかもしれない。
苦手だった「少女のハナシ」は実に面白かった。「あの夏」は、どこにも誰にもあるのだと思う。よかったら読んでほしい一冊だ。ちなみに誉〇さんの音楽小説には男の子(ロック男子)を題材にした「レイジ」という作品もあるようだ。まぁ僕はこっちも読んでみようと思う。

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