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2021年07月23日

本の時間「喧嘩師の生涯」

久しぶりの司馬遼太郎だった。やっぱり面白い。小説だからフィクションだと分かっているはずなのに、綿密な資料を精査したような「余談」が随所に散りばめられるから、ホントのことのような気がしてしまう。とはいえ、僕は司馬史観(司馬遼太郎作品に現れる独特の歴史観)の支持者じゃないから、ダメな封建国家を打倒して、正しい近代国家が生まれた、などという単純な図式に乗るつもりはない。
今回読んだのは、新選組副長の土方歳三の生涯を描いた「燃えよ剣」という一冊だ。もちろん史実をベースに書かれているのだが、読むと、いわゆる歴史小説というわけでもない、と気付く。なぜなら、幕末ものに欠かせない、黒船来航、安政の大獄、桜田門外の変、禁門の変、薩長同盟、大政奉還、坂本龍馬暗殺などなどは、ほとんど出てこないのだ(笑)。

主人公の土方歳三を描くとき、そんな史実が背景にあったとしても、主人公本人には関係ないからだ。盟友の近藤勇には天下国家を論ずる政治家志向があったようだが、土方歳三には、全く興味のないことばかりだ、とストーリーが進む。彼を「猫のようだ」と書いた部分が印象的だ。人に媚びず、プライベートを見せず、野良猫の野生の鋭さや、しなやかな強さを感じる。この小説は、そんな一人の孤独な男の戦いの生涯を描いている。現代のような平和な時代にだって「戦い」という単語はたくさんあるのだが、史実の中にある「戦い」は実情が全く違う。当時の戦(いくさ)は、人の命を奪うやりとりのことだ。
幕末期の大きな対立の解決策が戦争(正しくは内戦)で、その作戦の一部が「戦闘」だとすると、この小説は、そんな戦闘シーンばかりを舞台にして描かれている。それは主人公がいつも戦闘の渦中にいたからだ。当たり前のように「戦闘」のシーンが全編に繰り広げられる。彼の生き様とは、血と刀と銃弾の戦闘のことなのだ。だから作者は、彼のことを根っからの喧嘩師だと表現している。鉄の掟で統制された新選組でさえ、イデオロギーではなく戦闘力の強化だけに興味があったようだ。
生涯にわたって喧嘩し続けた男、喧嘩に勝つために人生の全てをかけた男、なのだ。そういう意味では、めちゃくちゃ面白い小説だと思う。まぁこれ以上はネタバレだ。

話は急に飛ぶのだが、京都に「哲学の道」がある。紅葉で有名な永観堂近くの「熊野若王子神社」の前から、琵琶湖疎水に沿って、「銀閣寺」の参道下まで続く長い散策路だ。春には桜、秋には紅葉が見事で、僕の大好きな場所でもある。昔のことだが、この哲学の道の途中(ほぼスタート地点)に「若王子(にゃくおうじ)」という名前のカフェ(当時なら喫茶店)があった。散策路の横が斜面になっていて、店の看板と下へ降りる石段がある。
石段の左右には様々な花が咲いていて、降りていくと、屋外のテラス席を配した立派な洋館?があった(と思う)。細かなことは覚えていないが、店内には骨董品のような家具や高そうな絵画や置物であふれていた。決して統一感はないのだが、いまなら不思議な世界観のアンティークカフェという感じだ。そこは時代劇俳優Kさんの経営する店で、彼の自宅(の敷地)なのだそうだ。実はこの俳優Kさんは、人気のテレビシリーズだった「燃えよ剣」の主人公、つまり土方歳三役だった人だ。いわゆる彼の「当たり役」だったらしい。

昔、わが家のチャンネル権を握っていたのは父親で、司馬遼太郎ファンだった彼と一緒に、息子の僕はこの番組を観ていたのだと思う。だから僕は、俳優Kさんのことを当時から知っていた。だからこの不思議な喫茶店には妙な思い入れもあった。もちろんこの店は、今はもう無くなってしまったのだが、数年前に仲間たちとここを歩いたとき、その痕跡を探したことがある。もちろん何も見つかるはずはなかった。
いつになるか分からないが、今度は函館へ行ってみたいと思い始めた。もちろんこの小説のせいなのだが、行きたいのは五稜郭だ。戊辰戦争の最後の地であり、喧嘩師・土方歳三の人生終焉の地でもある。たいした理由はないのだが、そこで主人公と同じ場所に立って、小説のエンディングを読み返したくなっている(笑)。

次の小説はどうしようか。やっぱり「竜馬がゆく」が思い浮かんでしまう。巷で有名なこの作品は、司馬遼太郎が「燃えよ剣」とほぼ同時並行して書いていた(雑誌に連載された)ものらしい。幕末を背景にした作品を2本同時に書いていて、そのために選んだ主人公が、坂本龍馬と土方歳三だ。間違いなく、あえて対峙させたのだろう。読むなら今だな。どうやら、単純な僕は、司馬遼太郎の術中に、まんまとハマったのかもしれない。

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