高校時代のハナシ「最初で最後のコンサート」
シリーズ「K-Dreamの時間」
シリーズ2回目の今日は、いきなり彼の原稿からスタートします。読みごたえありますよ。
高校時代の音楽に関して何か書けと言われまず思い浮かぶのは「最初で最後のコンサート」のことである。
これは高校時代を通して仲間とバンド活動を行ってきて、卒業を機にその集大成として何かの形で残したいという思いからスタートした手作りコンサートのことである。
「手作り」と書いたのは、どこかの音楽イベントに参加するということではなく、出演者の募集はもちろんのこと、自分たちで会場の使用契約や音響機材の手配、設営、チケットの作成、販売まで行うという、プロデューサーやディレクター、果てはプランナーまですべて自分たちでやってしまうというものだからである。
今思えば赤面しきりだが、当時は若さに任せての怖いもの知らずだった。当然コンサートとしてのクオリティはご想像の通りだが、演奏や歌には勢いだけはあった。 、、と、思う。。思いたい。。。
●日付1975年3月22日/
●石川県婦人会館3階?ホール/
●午後1時開演/
●入場料99円(プラス1円カンパ)/
出演者(出演順)とセットリスト
●クラシックギター独奏/T野和夫/夜霧のしのび逢い、Lagrimas、他一曲/
●オリジナル楽曲ギターソロ/Y原正泰/インストルメンタル、泣き虫の君、月影、おやすみ/
●田辺けいじとミニバンド/T辺恵治、T桑啓一、N村裕一、S田誠一/春だったね、22才の別れ、襟裳岬、風の便り、どうしてこんなに悲しいんだろう、名残り雪、あの人の手紙、スモーキング・ブギ/
●フォークデュオ/M岡陽一、N畑準/忘れかけた世界、春風、新しい朝、小鳥、相々傘/
●米原バンド/Gtr&Vo.Y原正泰、Bas&Vo.T野和夫、Drm&Vo.M岡陽一、Gtr&Vo.N畑準/愛のために、ロックン・ロール・メドレー、いつまでも、明日の素敵な君、赤いセーター、慟哭、街のチャペル、チューリップメドレー、白い貝殻、最初のデート、涙はおよしよ、君を見たいな夢で、愛のために(輪唱)、アンコール 22才の別れ/
チケットは木版画を私が作った。当時はコピー機なんぞどこにもなく、せいぜいが青焼きか藁半紙の謄写版くらいである。手書きで何十枚も作るのは大変だから木版画を彫って刷った。どこで聞いたのかコンサート料金は100円から税金がかかるらしいということで、入場料は99円にして、そうするとおつりが大変なのでプラス1円をカンパしてもらうことにした。
その頃金沢市内のコンサートホールといえば観光会館や北国講堂くらいしか無かった。産業展示館や実践倫理記念館もまだ存在して無かったと思う。もっともそんな巨大なハコなんぞとても借りられるはずもなく、実際は石川県婦人会館のホールを借りてコンサートを行うことにした。
その頃の婦人会館は兼六園の真弓坂を下りた旧の中警察署の後ろにあり、100人くらいのキャパのホールを比較的安価で借りることができた。ただそこはコンサートに使えるような音響設備がなく、機材の手配も自分たちで行った。PA(マイク、ミキシングマシンやスピーカー等の音響設備)は懇意にしてくれた山畜レコードの機材をお借りした。これはもちろん有料。そしてギターアンプやドラムセットは金沢大学軽音楽部のものを無料で貸してもらった。
金大軽音楽部との繋がりは桜丘の1年先輩のM島さんが当時金大軽音楽部に所属していたからで、まだ高校を卒業したばかりで金大生でもない私はさもそこの学生のような顔をして軽音楽部の部室に入り浸っていた。特にコンサート前の練習の時は夜の9時ごろから朝の6時ごろまで毎晩軽音楽部の部室にこもって夜中じゅう大音量で演奏した。おかげで金大の守衛さんとも顔見知りになった。部室に通う途中、柿木畠でY口君のお父さんがやっていた道産子ラーメンで腹ごしらえをするのが日課になった。
次は機材の搬入である。当時は高校卒業したてで自動車運転免許を持っている奴はちらほらいたが、自分の自由に使える自動車を持っている奴はなかなかいなかった。そんな中、運搬のための車と運転を買って出てくれたのが航空大学に進路が決まっていたT本君(彼はのちに日本航空のパイロットになった)だった。ただ、彼の運転はすごかった。後ろの座席やトランクにアンプを積んで、まるで空を飛んでいるようなスピードで金沢城内にあった金大キャンパスの中を運転してくれたのを覚えている。
いよいよ本番当日。午前中に機材をセッティングして午後1時からスタート。でも、今思い出すとリハーサルも何もなくていきなり本番だった。もちろん舞台照明もなし。演目は前出のとおりT野のクラシックギターから始まった。
何人くらい聴きに来てくれたのかなぁ。記憶は定かじゃないし記録もないけど、関係者も含めて50~60人くらい来てくれたんじゃないかな。
内容は今思い出しても恥ずかしい限りだが、収支は会場使用料や音響設備のレンタル料を払ってもトントンで赤字にはならなかった。もちろんパフォーマーへの出演料など出せるはずもなく、皆さんのボランティアのおかげである。
N畑準(K-Dream)