舌の記憶「ケーキ屋さんには普段着で」
10年以上前の話だが、懸命に生ケーキ(もう死語だが)を食べていた時期がある。クライアント先のフレンチのシェフと一緒に「ケーキショップ」の事業開発をすることになったからだ。聞けば参考にしたい「日本一のケーキ屋さん」があるのだという。売上高が半端なく大きい、ということだった。
その店へ向かう前日は、都内の有名百貨店のケーキ売り場を中心に、百貨店を何軒も視察することにした。人気のケーキ店は百貨店のデパ地下に集中していた時代だ。西の横綱アンリシャルパンティエの第2ブランド「シーキューブ」や、「グラマシーニューヨーク」や「キースマンハッタン」など、東京らしくて、クールで繊細で大胆なケーキを、豪華なショーケースで販売するのが、当時の主流だった。販売スタッフも黒のスーツを着た美人ばかりなのも特徴だった。
そして当日、秋葉原からつくばエキスプレスで1時間、その店は「つくば」にあった。駅から歩くこと10分ほど、もう中心街から外れて、郊外のようなところに立地していた。その店名は「コートダジュール」、カラオケ店と同じ名前だが地元では有名なケーキ店だった。広い駐車場に誘導係のガードマンが2人いる。店から出てくる客は、両手に大きな紙バッグ(買った商品)を持った人ばかりで、その荷物を車のトランクに積んで帰っていく。みんな普段着で当たり前のような顔をしている。
たくさんのパラソルが並んだ外のテラス席は、ケーキを頬張る家族連れでいっぱいだ。店内に入ると、そこはまるで「おとぎ話」に出てくるようなケーキ屋さんで、各種のスイーツが、どれも大量に陳列され、大型のショーケースの前には長い行列があり、それを10人くらいのスタッフで対応していた。カッコよさは、みじんもなく、小さな子供が店内を走り回るような店だった。前日の百貨店とは正反対の光景を見て驚くとともに、僕の常識が壊れた瞬間だった。これだ、と直感した。
帰沢後、そのフレンチシェフに報告すると、「実は、もう一軒、大垣にも日本一があるんです」という(笑)。日本一が二つも三つもあるんですか?と、逆切れしながら聞き返すと、「実は福岡にも、あと二つあるんです」と真顔で言う。もう笑ってうなづくしかなかった。結局僕は、これら「4つの日本一のケーキ屋」を視察してきた。全部が日本一、という矛盾は残っているのだが、この4店は、それぞれに、恐ろしい繁盛店だった。中でも福岡の「16区」という店は、朝9時から長蛇の列を作る店だった。そして共通するのは「どうぞ普段着で来てください」というコンセプトだったことは間違いない。
それ以降、僕にとってのケーキ屋さんのイメージは、ハレの日のものではなく、日常的な普段使いの存在になっていった。コンビニのスイーツの完成度が上がり、品ぞろえが充実して、人々が当たり前のようにスイーツを普段着で買う時代になるのは、そのすぐ後のことだ。