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2019年02月22日

鍋の中に顔を突っ込む幸せ

僕の周囲には「ラーメン」を語る奴が多い(笑)。仕事仲間にもたくさんいるし、親戚や同級生もラーメンを熱く語る。富山県民も実はラーメンにうるさい。職業や年齢にかかわらず、そんなラーメンフリークがたくさんいる。ここ20年くらいの大きな特徴だ。こんなに支持される食べ物は、あまり見かけない。彼らが語るラーメンは、どれも、ディープな表現で、二郎系とか横浜・家系とか、ブラックだ海老味噌だ、味変だマシマシだ、などと、その土地の風習や歴史も含めた、いわゆる「ラーメンの系譜や流儀」にそって、そのタイプを語るのがお決りで、いま日本中が、こんなラーメン言語だらけだ。

系譜や流儀があるということは、相当な歴史があるということでもある。東京駅のラーメンストリートを歩くと、世界中のラーメンファンが殺到している様相に、あらためて驚かされる。ラーメン業界の世界戦略、恐るべし。日本のラーメンは、アニメやファッションのように、熱狂的なファンを持ち、時代とともに文化論のように扱われていくんだろうなあ、などと考えることがある。

たしかに今風のラーメンに興味がないわけではない。でも個人的な好みを言わせてもらえば、僕は典型的な「インスタント袋麺」党だ。インスタント麺にも系譜や流儀はあるかもしれない。10代の頃からだから、もう半世紀近く、袋麺のファンのままだ。
僕の「袋麺ファンとしての流儀」は、受験勉強や学生時代の寮生活の時、頂点を迎えた。銘柄で言えば、出前一丁やエースコックのワンタンメン、そして何より「イトメンのちゃんぽんめん」にとどめを刺す。今でも特徴を述べよ、となれば、延々と語れる(笑)。しかしファンとしての喜びは、どれが旨いか、ではなく「どうすれば旨くなるか」に熱中していたことだろう。学生の頃の主食として、限りなくアレンジを繰り返していたことを思い出す。

このところ、健康のため、と言い聞かせて、食べなくなってしまったが、年に何回か、誰もいなくなった時を見計らって、一人、台所で袋麺を手にすることがある。冷蔵庫をあさって、野菜やトッピングの具材を見つけ、卵をどう使おうかと思案しながら、湯を沸かす。レシピより湯は多めで、例の粉末スープは半分くらいしか使わない。そして丼ぶりは使わず、鍋のまま食べるのが、一番の醍醐味だ(笑)。出来上がったラーメンには、コショウとかハーブソルトをたっぷり振って、鍋のままテーブルへ運び、新聞紙を鍋敷きにして、ドンと置く。湯気で曇るメガネを外し、まるで鍋に顔を突っ込むように、香りをかいで、やけど覚悟で口に運ぶ。ああ、至福の瞬間だ。しかし、そんな幸せの時間は5分くらいで、食後は一種の罪悪感にさいなまれる。ダイエットは明日からだ(笑)。

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