ただ食べたくて「幸せ運ぶレストラン」
もう10年ほど前のことだろうか。事情通?の某女性が言うには、この店は予約がなかなか取れない人気店として「噂」なのだそうだ。でも、馴染みの僕にとっては、電話すれば空いてる時間を教えてくれて、便利に使う店だったから、その当時の評判や噂話は意外なことだった。
たしかにランチが忙しいことは知っていた。いつも若い女性客でいっぱいの人気イタリアンだ。夜は夜で、市役所とか近隣事業所の行事や、地元の老若男女の予約でいっぱいになる。イタリアンなのに、まるで居酒屋のような喧騒を感じる日もあった。僕に特別な便宜を図ってくれていた訳ではないと思う。僕が座るのはカウンターなので、予約の対象テーブルから外れているだけのことだろう。
このイタリアンがオープンしたのは2007年らしいが、シェフと知り合ったのは、もっともっと昔のことだ。当時の彼は片町の人気イタリアンでシェフをしていた。そのレストラングループの創業期からの古参格だった。彼の料理は美味しくて、優しく柔らかい人柄もあって、オーナーから強く信頼されていたと思う。もちろん常連客達も彼に会いに、片町の路地裏のその店を訪れていたはずだ。
そんな彼が、僕の自宅のすぐ近くに店を開いた。念願のオーナーシェフとしての独立だった。僕の仕事仲間の某夫妻が、店の設計やグラフィックを担当したこともあって、オープン直後から使い始めたのが通うきっかけだ。シンプルな料理だが、とにかく旨い。シェフや奥さんとも、すぐに打ち解けて、家族で頻繁に使うようになった。いつものカウンターに座れば、黙って旨い商品が出てくる(笑)。僕はシェフの魚料理が、どれも大好きなのだ。僕のスマホの画像データを全部残しておいたとしたら、一番多いのは、ここの料理写真だったはずだ。
しかし、ある頃から忙しすぎて、そんな僕たちも予約できないようになってしまった。実は「幸せ運ぶレストラン」として、「ある人たち」にとっての聖地になってしまったからだ。忙しさに人手不足の事情も重なって、シェフたちは悲鳴を上げているように見えた。
ある人たち、とは、結婚相手を探している人たちのことだ。まぁ簡単に言えば、この店が仕掛ける「出会いの企画」が人気で有名になっていったのだ。とはいえ、若い人たちだけの軽いノリのそれではなく、対象者の年齢は幅広くて、真面目な真剣勝負という感じだ。中には「全敗の人」も多くいて、最後の頼みにするほど有名らしい。
ここの奥さんは元々ブライダルコーディネーターをしていたこともあって、始めたパーティー企画なのだそうだ。今では「世話好きのおばちゃん」と自称しながら、プロの技で不可能を可能にするらしい(笑)。結婚したカップルは、すでに合計150組くらいなのだそうだ。地元の新聞やテレビなどで、さかんに紹介されているし、全国ネットの番組(所さんの番組らしい)にも取材されていた。
困っている人はたくさんいるようで、地元から始まったものが、今では全国から引き合いがあるのだそうだ。中には切実な悩み相談を繰り返す人も多いようだ。食事代金以外はボランティアだから、それに対応していくのは大変な苦労だと思う。
さて、困っているのは僕も同じだ。もちろん、僕にとっての困りごとは予約が取れず、好きな料理が食べれないことで、人生を左右するほどのことではない(笑)。とはいえ、何とかならないかな、と思ってしまう。行きたくなって連絡しても「すみません、O島さん、今日は・・・」と謝るばかりなので、とうとうシェフへの電話もしづらくなってしまった。
去年のことだ。オープン13周年と知って、この日の夜、お祝いの品を持って、フラリと立ち寄ることにした。ほぼ一年ぶりだった。コロナの影響はこんな片田舎の店にも、大きな影を落としていた。予約弁当をカウンター席に広げて準備するような、静かな営業だった。久々の再会にシェフも喜んでくれた。急なことなのに、僕が大好きなアクアパッツァやスペシャルパスタを作ってくれた。フリットには好物の「白子」のやつまで入っている。やっぱりここは、僕にとっても「幸せ感じるレストラン」なのだ(笑)。
人気の「出会いのパーティー」は中止が続いていて、リモートでの「出会いの場」のお世話を細々と続けているらしい。今は苦労しているだろうが、状況が好転していけば、またあの「幸せ運ぶレストラン」に戻るはずだ。店に活気が戻ると、また僕は予約できなくなるのかもしれない。まぁそれはそれで仕方ない。キッチンで黙々と作業を続けるシェフの後ろ姿に、「がんばれ」と、小声のエールを送った。
このイタリアン trattoriaorso.com