贈り物のバーター取引
少子化と言われるようになったころ「シックスポケット」というコトバが生まれた。一人の子供に「六つの財布」からお金が注がれる、という意味のようだ。両親、両祖父母の6人のことなのだが、最近はそれに叔父さん叔母さんも加わって、テンポケットになっているらしい。
その昔、クリスマスや誕生日に、リボンが付いた箱に入っているような「プレゼント」がもらえるのは、白黒テレビで観るアメリカのドラマの世界のことで、そんな世代の僕たちには無縁のものだった。僕の父親は10人兄弟、母親は5人姉弟だったから、たくさんの叔父叔母がいたわけで、算式なら20個くらいプレゼントがもらえることになるのだが、もちろん、そんな記憶はない。僕たち庶民の暮らしは、とても質素なものだったと思う。
時は流れて、僕たちの世代は子や孫に「贈る」のが普通だ。喜ぶ顔が目に浮かんで、プレゼントを選んだり買ったりするのも楽しい。
いまの世代は、みんなプレゼントに慣れている。渡し方もそうだが、もらい方が特に上手い。幼い頃の娘たちの「お小遣い」は、小学1年生は100円、2年生は200円と、学年が上がっても100円しか増えないのだが、そんな中から、お友達への誕生日プレゼントを買っていた。エンピツとかクリアケースとか、モノは大したことはないのだが、むしろ添えるメッセージカードが上手になっていった気がする。そんな練習を重ね、お誕生会というパーティーでの「付き合い」も上手にやっていたように思う。
自分の誕生日のプレゼントは、家のお手伝いをすれば、欲しいものを買ってもらえたし、両親へのプレゼントは、お手紙と「肩たたき券」や「お手伝い券」を勝手に発行すれば良いだけのことだった。交渉相手の親がNOと言いそうなら、ジジババとか叔母さんに、こっそりおねだりすれば、欲しいものは意のままに手に入ったのかもしれない。彼女たちのおねだりの魔力に、大人たちは無力だったに違いない(笑)。
サンタクロースの存在を信じていたのは何歳くらいまでなのだろうか。お手伝いをしたり「おりこうさん」にしていれば、不思議と欲しいものを届けてくれる。娘たちには、サンタさんは子供部屋の窓から入ってくるのだと教えていて、寝る前に窓サッシの鍵を開けておくように、と言っていたと思う。しかし彼女たちは、すでにサンタの正体を知っていて、親の夢を壊さないように演技していたらしい。後年それを知って、あんぐりしたことを覚えている。
さて、僕のハナシだ。誕生日が過ぎて数日すると、ようやく宅急便が届く。娘たちから連名で届いたプレゼントだ。肩たたき券はいつの間にかなくなり、ちゃんとした「モノ」に進化している。きちんと専用のラッピングがされていて、メッセージカード付きだ。今では年に一度のささやかな楽しみになった。とはいえ、誕生日のプレゼントとはいっても、もちろん「バーター取引」なのは間違いない。
今度の誕生日は何が欲しいの?、という娘たちからの打診があって、リクエストすると、ほどなくLINEで画像が返信される。どこかの通販サイトの商品写真だ。だからもちろん値段も付いている(笑)。こんな感じ?これなんかはどう?と何枚かの画像が続き、気に入ったやつを選ぶことになる。僕の場合は値段も気になってしまい、安めのやつを選んでしまう。じゃあ、送るね、などと簡単なLINEメッセージで取引が終わる。
次回は娘の誕生日の番になる。親に贈るときは「娘たち2人」の連名なのだが、もらうときは一人一人だから、なんとなく不公平感みたいなものもある(笑)。彼女たちは「バーター取引」の名手なので、リクエストや、巻き込み方も上手なようだ。彼女たちの交渉相手は家内の方で、父親は現金のみの担当だから詳細は知らない。まぁ母娘の秘密のハナシもあるようだ。
今年は「バーテンダーセット」というやつをもらった。いろんなカクテルを作る道具のセットだ。道具としての過不足はあるのだが、まぁ許容範囲だ。値段が分かるから文句は言えない(笑)。そういえば前回は、芝刈り機だった。もちろん安い小型のやつだけどね。ネクタイとか、シャツやセーターとか、定番の衣料品の時期が長かったのだが、最近は意表を突くリクエストにしている。一種のウケ狙いなのだが、反応は薄いままだ。
さて、このバーテンダーセットだが、シェーカーがやたらと大きい。どうやらミキシンググラスを兼ねる、ということらしい。まぁ素人用のアイデアセットということかな。これで旨いカクテルでも作ろうと思う。最初の一杯は、やっぱりマティニかな。僕の、ひとり遊びのための「おもちゃ」にはちょうどいい感じだ。
そうこうしているうちにチョコレートが届いた。これには互いにリクエストがないのだが、海老で鯛を釣るシステムは変わらない。娘たちの無言の圧を感じて、今年もまた、3月上旬まで悩むしかないかな。年に一度のスイーツの勉強が始まる。