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2020年05月15日

四字熟語ではないらしい

このパン屋の記事は書いてはいけないのかもしれない。ありがた迷惑というやつだ。この店は「いい店だから」と誰かに教えたくなる人がいて(実際にたくさんいる)、SNSやブログには頻繁に登場する。つまり熱烈なファンがいるのだ。一方で、テレビや雑誌のようなメディアには一切登場しない。まるで取材をお断りしている感じがする。さらに公式サイトもないし、SNSでの発信もしていないから、もしかすると存在を隠しているようにも見える。
行ってみてわかった。開店して1年経つのに、いまだに異常な人気で、パンの製造が間に合わないのだ。ショーケースは、ほぼ空っぽだから、順に出来上がるのを待つしかない。もうすぐ2種類のパンが焼きあがるそうだ。僕が訪ねたのは金曜日の昼頃の話だが、いつものことのようだ。この日も、先客の5人が、焼きあがるパンを、当たり前のように、のんびりと座って待っているのだ(笑)。
そして、焼きあがったばかりの2種類のパンをフツーに買っていく。欲しいパンを選ぶのがパン屋だよね、というヒトには、とてもお勧めできない。ちょうど僕が買った段階で、また切れて、つぎのパンができるまで、待つことになったようだ。後ろの人には申し訳ないが、仕方ない。

初めてこのパン屋のことを耳にしたとき、その人は「店名」を言えなかった。忘れたのだ。「去年の3月にオープンした、ものすごい行列の店でね、なんかねえ、難しい名前なんだよ。四字熟語で、意味も分からないし、忘れちゃった」と笑っていた。それが、この店「N」だった。ギョーカイの噂話のときに、店名が出てこないことは、よくあるので、そんなことはどうでも良いのだが、その店名が「四字熟語」?というのは、パン屋としては明らかに異例なので、興味を抱いた。
金沢には、人気のパン屋が何軒かある。雑誌の特集などで常にトップを飾るのは、西念の国税局の向かいあたりにある「Y」という、ものすごい人気のパン屋だった。去年の2月のこと、その繁盛店「Y」が急にクローズしたという話を聞いた。謎の閉店らしい。そして、3月になり、くだんの四字熟語?のパン屋の話が出てきたのだ。
今度は別のギョーカイ人に聞いて、少し調べたら、一部のファンが、真相を追跡したブログ記事がでてきた。西念の「Y」は閉店、そして移転した店が、この「N」だったのだ。場所は白尾?宇野気?あたりの、住宅街の中に、ひっそりあるのだという。今から思えば、おせっかいな追跡記事だったのかもしれない。

この「白尾のN」の店名は「N虫化蝶」という。少し気を使って英文字で隠したが、四字熟語ではなかった。ちゃんとした「日本の暦」に出てくる季節(春)の呼び名だった。二十四節気とか七十二候とか云うやつだ。移転オープンは3月18日らしいから、まさに店名に添った時期ということだろう。
そしてご主人は、あのロブション(三ツ星シェフ)のベーカリー部門で修業した凄腕らしく、美味しいのもうなずけた。品質も人気も本物だったのだ。熱狂的なファンがいることも、追いかけたくなる気持ちも分からないわけではない。でも、度を過ぎると困らせることになるのかもしれない。
来店して分かったことだが、どうやらご夫婦二人だけでやっているようだ。一番の驚きは、この奥さんの接客が素晴らしいことだ。どんなに忙しくても、品切れしていても、一人一人に丁寧に説明を繰り返す。そして一品一品の商品の内容や、美味しい食べ方を、これまた丁寧に説明している。
きっとご主人はパンと作るのが大好きで、その奥さんはご主人のパンが大好きで、だからパン好きな利用客に、自分たちが大事にしていることを、正しく伝えようと頑張っている気がする。パンは旨いけど、レジの接客はどうかな、という業界にあって、とても稀なことだと思う。

焼きたてで買ってきたのは、長時間熟成させた生地で焼いたバゲット(40センチくらいのフランスパン)と、ハード生地の中に大粒のあずきが、これでもかと包み込まれた「大納言」というパン、そして名前は忘れたが、ドライフルーツをふんだんに使ったパン(これは陳列品)の3種だ。どれも本当に美味しい。
店名の意味を調べるうちに、このご夫婦が、あの繁盛店(西念のY)を、あえて閉めて、こんな場所(失礼)に移転し、新しい店を開くにいたった理由を考えてしまった。人気で「売れるパン」より、もっと「大事なこと」を求めたかったのではないだろうか。
記事を書いたのに、行ってくれとは言えない(笑)。店名の漢字四文字は、まともに書けないし、もちろん場所は書けない。地図や営業時間も書いてはいけない気がする。でも隠せば隠すほど、興味をそそってしまうかもしれない。それは僕も同じだ。でも一度行くと、きっとあのご夫婦を応援したくなる。そんな小さなパン屋だった。

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