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2020年10月23日

舌の記憶「決戦の金曜日」

6~7年ほど前の話だから細かなことは忘れたのだが、ご都合のよい日に、ということだったので、戦いの日は金曜日に決めた。
おそらく自宅を避けたのは、記憶に残る大事な日にするためだ。まぁ僕の記憶というより、当人の記憶に鮮明に残したかった、そんなことだけは覚えている。戦いのリングに選んだのは片町の裏通りにある「Y」という小さな割烹だった。
ご夫婦でやっている割烹で、無口な主人と陽気な女将の役割分担が素敵で、何よりここの料理は抜群に旨かった。夜の片町の遊び人たちをファンに持つ人気店で、いつも予約で埋まる店だ。僕が料理に惚れ込んでいるのに対して、家内はここの女将と気が合ったのか、いつしか夫婦で使うようになっていた。行くといつも女二人の井戸端会話が続く。

この晩は、いつものカウンターではなく、ひとつしかないテーブル席を選んだ。戦いのリングは四角だから、これでいい。今日はボコボコにしてやろうか(笑)、などと息巻いていたかもしれない。予約時刻より早めに会場に着いた。相手が来る前に、さっそくリングサイドの観客たちを味方にしなければならない。「今日は娘の結婚相手と初めて対面するんだ」と女将に伝えた。彼女は笑顔で応えて、店中に響く声で復唱してくれた(笑)。
そうだ、決戦の金曜日に、僕が戦う相手は「あいつ」だ。一度写真でちらりと見たが、名前は忘れてやった(笑)。昨年の長女に続いて、今度は次女まで持っていかれる。そんな父親の怒りの一撃を見舞ってやろう。そうこうジタバタしているうちに、ほどなく、娘が顔を出し、その後ろに「やつ」が続いて入ってきた。

店の主人や女将には悪いのだが、この日の料理は、あんまり覚えていない(笑)。この日のために東京からやってきた相手のオトコは、パリッとしたスーツ姿で、キチンと古風に挨拶し、会話も所作もちゃんとしたビジネスマンで、なにより「大人」だった。仲のよい二人を見ていて、僕はすぐに「白旗」を挙げることになった。子供じみたオヤジではなく、ものわかりの良い、娘自慢の父親を演ずるしかなかった(笑)。そして「やつ」を気に入ることにした。何より安心した、というのが本音のところだ。
決戦の金曜日は、ある意味で狙い通り、親子4人の記憶に残る日になった。娘二人で息子がいない僕は、この日に新しい息子を迎えることになった。だからその日から「〇〇君」などは使わず、ファーストネームで呼び捨てにすることを宣言した。唯一のオヤジの意地かな(笑)。

ある日、ふと、本棚の写真立てに目が行った。孫たちの写真の横に、二人の娘たちの結婚式のときのものが2枚が並んでいる。もうずいぶん昔のことだが、昨日のような気もする。そして二人の娘にまつわる「決戦の日」の、こんなシーンを思い出してしまった。
この晩の話は、マンガみたいだが、ホントの話で、思い返すと照れてしまう。だから、この件で、娘に弱いやつだとか何とか、本人をいじらないでほしい。たしかに弱いのは間違いないから(笑)。

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