ただ食べたくて「シニアたちの樹林厨房」
平日の12時少し前だというのに、例の「六角形のカウンター」はほぼいっぱいだった。ここ六◇堂は長きにわたって金沢市民に愛されている店なのだと思うが、何年たってもこの繁盛ぶりには驚くばかりだ。ちょっと調べたら開業は1973年(昭和48年)つまり僕たちが17歳頃のことらしい。
なぜそんなことを調べたかというと、記憶を確かめたかったからだ。僕の記憶では、この店のことを初めてインプットしたのは「桜丘のH先生(古文?)だ」ということになっている笑。どうやら、少なくとも時間軸は間違っていないようだ。どんな脈絡で、そんなハナシになったのか覚えていないのだが、ある日の彼の授業の最中に、この店のハナシが出てきたのだ。目の前の鉄板で焼いてくれるとか、それをお箸で食べるんだとか、そんな話を聞かされたことを鮮明に覚えている。
高校生の僕たちに、そんな大人の通なステーキのことが理解できるはずはないんだけれど、今から思えば、先生にとっても「言いたい」出来事だったのかもしれない。授業の最中に?なぜ?とは思うが、ホントの記憶なのだ。ステーキといえば、ナイフとフォークで食べるものだと思っていた時代だから、特に「お箸で食べる」というスタイルが新鮮だったのかもしれない。
はじめてここを訪れたのはいつのことだったのか、もちろん覚えてはいないのだが、来るたびにH先生のこのエピソードを思い出していたと思う。そして今回もまた思い出した(笑)。
これはあくまで僕個人の意見だが、ステーキが大好物でコスパが大事で、さらに「旨い肉」とか「好きな部位や焼き方」にこだわりがあって、どうしても食べたいと思うのなら、けっしてここに来なくても良いのかもしれない。そんな店は他にもたくさんあるのだと思う。でも今日の僕たちがそうであるように、ある日の大事な時間のために行こうと思うのなら、やっぱりここが一番なんだと思う。ここには「食べ物」以外の楽しさがあるのだ。その典型が「思い出」なんだと思う。新米夫婦二人のそれに始まって、いつしか家族の晴れの日が、いくつか加わっていく。
そして時が流れて、再び二人暮らしの夫婦に戻っても、またこんな時間を作ってくれる。それは、長い歴史を重ねた店にしか提供できない特別メニューなのかもしれない。
そんなことを考えていて、ふと気づいたのだが、利用客は全員「シニア」ばかりだ、僕たちが一番若いかもしれない。向こう側の席では、高齢の両親を伴った女性(お歳はともかく娘さんかな)が、隣のお父さんのエプロンを直したり、なにかと世話を焼いている。横の席には、ちゃんと「おめかし」した老夫婦が、笑顔で最後のニンニクライスを頼んでいる。私はたくさん食べれないから、少しだけにしてね、などとシニア独特の申し入れをしていた。なんとなく、ほほえましい。
そういえばメニューには、いつの間にか、たった100gの小さな肉も選べるようになっていた。魚料理とのセットなのだが、少量の肉ってのは、今どきのステーキハウスでは珍しいと思う。たぶんシニアに配慮しているのだ。僕たちも、もうたくさんの肉は食べれないから、家内はこの100gのセットを、そして僕は150gのロースを選んだ。ささやかなサイズだが、楽しい時間なのは同じだ。目の前で焼き上げ、細かくサイコロ状にカットしていく、そんないつもの手業(てわざ)を見るのも楽しい。
焼きあがって、いざ食べるときに、このサイコロのサイズが、いつもより小さいことに気づいた。メニューが違うからなのか、僕たちがシニアだからなのか、はわからないが、僕たちの「ひと口」にはぴったりのサイズだった。面白いなぁ。
食後は、いつものようにティーラウンジで珈琲を飲んでいた。横の庭に屋外の席もあるのだが、周囲の緑の林から陽射しが入って気持ちがいい。卯辰山らしい風景ということだろう。ちなみに、この店の名称だが、てっきり「ステーキハウス六◇堂」だと思っていたら、正しくは「樹林厨房・金沢六◇堂」というのだそうだ。なるほど、樹林厨房ねぇ。妙に納得してしまった笑。
今日は車じゃないから、ここから散歩を再開しようと思う。抜け道を探して敷地を奥に進んだら「観音院」というお堂があって、そこから下りの階段が続いていた。いい雰囲気だ。どうやら観音坂という坂道だったようだ。これが抜け道なのかどうかはわからないが、少し歩くと、ひがし茶屋街の宇多須神社に出た。こんな歳になっても知らない道は楽しい。次回は仲間たちと一緒に、逆にたどってシニアたちの樹林厨房を目指す散歩も悪くないかな。