青春のかけら「学生街の喫茶店」
今日は、高倉町珈琲(示野にある郊外型カフェ)でこの原稿を書いている。ハワイコナを注文した。今はお気に入りの店のひとつとなった。みんなも同じだろうが、歳とともにカラダのあちこちにガタがきていて、今日もそうだが定期的に通院している。午後の受診までの時間に慣れないスマホのキーボードを叩いてる。
まだ高校生だった頃、背伸びして純喫茶や珈琲専門店へ通った。お気に入りは「禁煙室」、たしか高岡町あたりにあった純喫茶だ。桜丘はなぜか喫茶店への出入りが許された高校だった。無理してストレートコーヒーを頼んでいた。そんな不自然で生意気な制服姿の高校生たちを、イケメンスタッフ(記憶が曖昧だがシミズさんという名前だったと思う)は、いつも笑顔で迎えてくれた。それがきっかけで珈琲が好きになったのだ、つまり僕の珈琲好きの原点は純喫茶なのだ。
ときは流れて、珈琲はサードウェーブの時代と言われている。大衆的なアメリカンコーヒーに替わって、スタバなどのシアトル系、つまりフレーバー、ラテなどの付加価値コーヒーが産まれ(これがセカンドウェーブ)、さらに現在はブルーボトルのように、一人一人の個性を表現するような、一杯だてで、ライフスタイル楽しむような飲み方を提案するスタイルにかわっている。
ブルーボトルの創業者は若い頃に来日した際に訪れた日本の純喫茶のストレートコーヒーに影響をうけて、今の一杯だてのスタイルをとることにしたらしい。60歳過ぎのコーヒー好きの僕にとっては、ちょっといい話だ。おゃれなスタバは嫌いじゃないが、今はブームの郊外型カフェが、そしてストレート珈琲がお気に入りだ。ここには昭和の純喫茶においてきた青春のかけらが残っている。
後日談
この記事を読んだK村くんからメールが届いた。前述のイケメンスタッフは「清水さん」で間違いないそうだ。その後の消息も教えてくれた。K村くんは学生時代に別の禁煙室でアルバイトをしていたらしい。同じ場所でおこっていた別々の青春ばなしを聞いて少しうれしくなった。