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2019年11月01日

散歩の途中で「有名なロビーの物語」

某国営放送に「ドキュメント72時間」という番組がある。街の某所をターゲットに、カメラで3日間(72時間)定点撮影して、そこで出会う人間ドラマを取材する、そんな番組だ。2年ほど前の再放送だったと思うが、建て替えのためにクローズする「ホテルO-クラ本館」の最後の3日間を取材した模様が放映されていた。
50年以上にわたって「日本の顔」として営業を続けたこのホテルには、利用客の様々な思い出が詰まっていて、見ごたえのあるドキュメンタリーだった。偶然見ただけなのだが、なぜか心が揺れた。代表的な建築で有名なロビーでの、さよならコンサートに聴き入る人たちとか、亡くなったご主人との思い出を温める老婦人とか、美しい建築を目に焼き付ける建築家とか、そんな小さなドラマを丁寧に取材していたように記憶している。

そんなホテルOークラが、オリンピックに向けて再オープンした、というニュースを聞いたとき、この番組を思い出したこともあって、無性に行きたくなってしまった。いつもの散歩気分で神谷町からプラプラ歩くことにした。歩いてみると、それなりの坂道で結構疲れる(笑)。あちらこちらに制服姿の警察官が立っていたから、要人でも宿泊中なのかな、などと考えたが、アメリカ大使館の真ん前だと気づいて納得していた。ここでテロにでも巻き込まれたら大変だ、などと同行した仕事仲間のおっさんとのオヤジ・ジョークで盛り上がっていた。

坂道を汗だくで登りながら、こういうホテルは正面玄関から堂々と入らないとな、などと軽口をたたいていたのだが、いざホテル正面のアプローチに入ったときに驚いた。陸上競技場か、と思うほど広くて、中央の広い水盤を囲んでロータリーがある。その向こう側がホテルの正面玄関で、ベントレーやらマイバッハ、センチュリーなどの高級外車が主人を待って停車されていた。
例のクラシックな制服を身に着けた高齢のベルマンが、にぎにぎしく高級車(これはベンツS400だった)を出迎え、和服姿の女性スタッフが、うやうやしく館内へと案内していく。Gパンとスニーカー姿の汗かきのおっさん二人は明らかに浮いているのだが、スタッフは何事もないように笑顔でエスコートしてくれた。

館内の右手には、あのロビーがあった。何年もかかった大改造のはずなのに、ここだけは当時の雰囲気をそのまま残しているようだ。有名なOークラ・ランタンと呼ばれる独特の照明が、高い吹き抜けの天井に泳いでいる。シンプルなテーブルやイスも当時のままに思えるが、よく見るとテーブルトップはピアノ塗装で仕上げられていて、天井のランタンが鏡に映り込んだように見えて、とてもきれいだ。
オープンの活況などはなく、静かで以前のままの時間が流れているように感じる。あのドキュメンタリーの老婦人も、思い出の物語が途絶えることなく安心していることだろう。帰路には、ホテル横の緑の小路を降りて、虎ノ門ヒルズへ向かった。まだ木々は植え替えの途中で不自然だったが、すぐに瑞々しい日本の森になるはずだ。日本を代表するホテルは、その森の中で今日も新しい歴史を刻んでいる。

ホテルOークラ東京 theokuratokyo.jp

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