ホテルの時間「汐留が元気だった頃」前編
ある日の朝刊に、電通が汐留の本社ビルを売却するという記事が載っていた。48階建て?の汐留を象徴するような高層ビルだ。コロナによるパラダイムの転換を迫られて、大手企業は本社機能の縮小や資産の流動化を進めている。今回もホテルのハナシを書くのだが、この「汐留シオサイト」という巨大な複合都市が誕生した頃の昔話だ。
汐留が大規模な再開発によって、新しい街に生まれ変わったのは15年ほど前のことだ。初めて訪れたのは、この電通ビルの低層部にできたカレッタ汐留(下の写真)という商業施設がオープンした頃だった。劇団四季の常設劇場が入居し、昼も夜も人であふれていた。新橋駅から歩くと、日本テレビタワー(日テレ)やソフトバンクのビル、汐留シティーセンター、そしてこの電通の本社ビルなどの高層ビルが竣工していて、たくさんの企業が上層階に入居し、低層部分には多彩なショップやレストランなどが入居していた。
当時の、この新しい街には、新しいホテルもたくさん誕生していて、どのホテルもオープニング競争をしているような状況だった。仕事上の興味を持った僕は、立て続けに泊まってみることにした。同じエリアのホテルを、しかもオープンの時に順に使うという経験は、もちろん初めてで、今後もないことだと思う。
ひとつ目のホテル「Cンラッド東京」はソフトバンクと同じビルにあった。Cンラッドとはヒルトンホテル創業者の名前らしい。だから、このホテルは名実ともにヒルトングループの最高級ブランドで、もちろんミシュラン東京5つ星だ。外資系のホテルへは、無理をして(カッコつけて)タクシーで乗り付けるのがベストだ、と学習したホテルでもある(笑)。エントランスに多数のベルスタッフが揃っていて、ベストな対応で利用客を迎え、恭しくフロントフロアへ案内してくれる。
そんなことに気づいていない当時の僕は、当たり前のように新橋駅から歩いて、ビルに着き、案内看板に従ってフロントへと向かった。表現は適切ではないが、僕の行動は例外に近くて、いわば裏口方向からフロントに行く感じに等しく、スタッフの対応に違和感を感じることになった(笑)。当時はオープン直後の特別料金だった。いわゆるお試し価格みたいなもので、今ほどの高額ではなかった。それもそのはずで、今では7年連続の5つ星のこのホテルも、当時はバタバタのオープンだったのだ(笑)。
スタッフの大半は外国人で、みんな所作がきれいで堂々としていて、ホテルマンの見本のような人たちばかりだった。みんな日本語を勉強していて、流暢ではないが一人一人は笑顔で対応してくれる。ところがスタッフ間の連携は全く駄目のようで、行動やエスコートが、みんなぎこちない。見ていて可笑しいくらいの状態だった(笑)。
レストランの料理は素晴らしかったが、入り口で延々と待たされたり、案内をやり直したりと、とにかくバタバタな状態だった。指示を飛ばしていた偉そうな外国人は、あのカルロスGーンにそっくりで思い出深い(笑)。Cンラッド東京の名誉のためにいうと、後の2回目の訪問の時には、すべてが改善された素晴らしいホテルになっていたからご安心を。でも裏口から入っていないから、そっちの方は不明なんだけどね(笑)。
後日談だが、関西27期の新年会のとき、大阪の中之島エリアを仲間3人で散策した。トイレ休憩のとき、僕は同行の2人に待っててもらって、喫煙所を探したのだが、なかなか見つからなかった。そんなとき、たまたま目の前にCンラッド大阪を見つけ、ここならあるだろうと、地味なガラス張りのエントランスに入っていった。薄暗い通路の角を曲がったところで、金髪美人の外国人スタッフに笑顔で迎えられてしまった(笑)。そこは広いエレベーターホールで、ホテル正面のド派手なメインエントランスだった。ということは再び、汐留の時と同じように「裏口」の連絡通路から入ったのだ、と気づいた(笑)。
美人外国人に真正面から見つめられてしまうと、煙草、などとは言えず、ショップはどこですか?、などと笑顔を取り繕って、買い物客に扮することにした(笑)。意に反して、ショップははるか上層階にあるようで、笑顔の彼女は、ご案内します、とスマートにエレベーターのボタンを押している。これは、まずい展開だ(笑)、と覚悟したとき、ガラスの外に、僕を探す仲間二人の姿が見えた。友人に声を掛けてくるね、とかなんとか言葉を残して、僕は派手なエントランスから外へと脱出した(笑)。今から思えば、何でもないことなのに、美人外国人には弱いよなぁ。
東京も大阪も、Cンラッドの裏口は、僕にとっては鬼門なのかもしれない(笑)。
Cンラッド東京 conrad.hiltonhotels.jp
余計なことを書いてしまって文字量過多になってしまった(笑)。この汐留のホテル戦争に登場する、あとふたつのホテルのハナシは次週(後編)に持ち越し・・・。