toggle
2020年08月14日

舌の記憶「松阪牛のお城」

三重県の松阪へ車で向かったのは40代の初めだと思う。色々あって会社を辞め、第2の人生として今の事業を始めた。その事業の根幹になるような、ライフワークのようなものを探していた時期だった。ドライブの目的地は松阪の「和田金」だった。
和田金(わだきん)は松阪牛のすき焼き専門店で、地元三重県はもちろんのこと、日本中にファンがいる名店だ。その存在は利用客だけでなく、肉を商売として扱う人々にとっての究極の「あこがれ」のような店でもある。僕の目的は、決して「すき焼き」を研究するためではない。当時の僕は、人々に支持される「本質」のようなものを掴みたかったのだと思う。この和田金での体験で得たきっかけは、後に湯布院へと続いていく。

ポンコツ中古車での長いドライブの末に、松阪の街中にある和田金には昼前に到着した。木造の料亭のようなものを想像していたが、目の前の和田金は、4~5階建てのお城のような巨大な建物だった。記憶が正しければ、ほぼ個室ばかりで、収容人数500人の巨大な店舗だが、ものすごい繁盛店だ。
ちゃんと調べればいいものを、僕は「そんなに席があるのなら、予約なしでも入れるだろう」と勘違いしていた。しかし予約していない僕たちは延々と待たされ、ようやく「和田金のすき焼き」に会うことができたのは13時を過ぎていた。案内されたのは個室ではなく、広い大広間だった(笑)。とはいえ、ひとつひとつのテーブルを、高級そうな屏風で囲ってあるので、隣のテーブルのことは見えない。対応するのは、着物姿の接待係の人たちで、目の前で調理してくれるスタイルだった。

僕たちは二人連れだが、お金がない(笑)。当方の予算に限りがあるのでコースなどは頼めない。なんとか、すき焼きを1人前、網焼きを1人前、単品で注文した。もちろん嫌な顔ひとつせずに対応してくれた。しかし、すき焼きの肉は大判のリブロースが2枚しかないので、こんな金額を払って、食べたのは1枚だけだった(笑)。
肉好きの変態・寺門ジモンが「和田金の松阪牛は飲み物だ」と表現しているが、まさに当たっていて、最高のサシが、口の中の体温で瞬時に溶け出し、存在がすっと消えて、旨さだけが体を駆け巡るような、そんな感じだった(笑)。後年、いろいろな場所で松阪牛を食べたが、どれもこれも、和田金のそれとは違う。それほど単純に分かる違いだ。和田金は独自の牧場で専用の松阪牛を育てている。これは、すごいことなのだと思う。
一方の網焼きは、ヒレ肉をレモンの輪切りを使って、見事に焼きあげ、生醤油で食べる独特のもので、シンプルに松阪牛そのものの旨味を堪能できる。僕はこっちの方が旨いと思った。日本一の牛肉の専門店の商品は、誰もマネできない圧倒的なバリューを持っていた。

時は流れて、数年前のことだ。27期の大人の修学旅行企画で伊勢志摩へ行った。そのとき熱弁をふるって仲間たち(Z団2016)にPRしたのだが、結局、和田金へは行けなかった。日帰りのGさんのことを考えると、伊勢神宮から松阪へ向かうには、時間がなかったのも事実だ。とはいえ、みんなの松阪牛への興味は強かったから「一升瓶」という屋号の焼肉店へ出かけた。店名はファンキーだが、本店が松阪市内にある有名な焼肉店で、何より松阪牛の内臓肉が食べれた。特に味噌味のホルモンは、びっくりするほど旨くて、記憶に鮮明に残っていた。
その支店が伊勢にもあったのだ。さっそくタクシーを飛ばして食べに行くことにした。店は普通の郊外の焼肉店だったが、出てきた松阪牛はどれも唸るほど旨かった。旨い肉は、すき焼きやステーキでなくたって、やはり旨いのだ。しかし、味付けは全て「味噌味」で、しだいにどれも同じ味のように感じてしまった。お店には悪いのだが、焼く前に味噌を落として、まるで塩焼きのように食べてみた。これで部位ごとの違いが分かった。まぁどっちにしても旨いのは変わらない(笑)。
僕は独立して20年になろうとしている。僕の原点とまでは言えないが、キッカケをくれた和田金にもう一度行きたいのは間違いない。こんな年齢だからサシの効いた和牛はもはや食べられないのだが、舌の記憶によれば、和田金だけは大丈夫だろうと感じている。

和田金 e-wadakin.co.jp
一升瓶 isshobin.com

Other information