クルマ酔いとの付き合い方
夕方の主要道は、どの車も、けっこうスピードを出す。帰路を急ぐサラリーマンたちの悲しい習性なのだろう。黄色の信号なのに、交差点に突っ込む車を見るのは日常茶飯事だ。車線変更の無理な割り込みなどに驚いて、強めにブレーキを踏んで、ちょっとムッとしたりする。
そんなイラつく体験をすると、自分の運転もついつい荒くなってしまう。田んぼの真ん中の道だから、などと言い訳して、いつもよりクルマを振り回してしまうことがある。
ふと気づくと、胸のあたりがムカムカして、軽い吐き気がする。ムカムカするのは怒っているからではない。実は僕は「クルマ酔い」しているのだ(笑)。
自分の運転で、自分の車に酔うんだ、という話をすると、人様に笑われる。でも本当のことなので仕方ない。あの道は悪路で、路面のデコボコがひどいから、きっと三半規管が悲鳴を上げてるんだ、などと素人の分析を繰り返している。
クルマ酔いするのは、子供のころからだった。だからバス遠足は運転手さんの横の特等席に座っていた。眺めはいいはずなのだが、ビニール袋をずっと握っていた記憶しかない。その「特等席」は、使うバスが新型に変更されるにつけ、先生が座る席になり、僕たちは「運転手さんの後ろの席」へと移動させられた。これじゃぁ前が見えないから、酔いやすい、と怒っていた気がする。
そんな昔のバスは、独特の臭いがして好きじゃなかった。空腹はダメだとか、ズボンのベルトをゆるくするとか、窓を開けて新しい空気を吸うとか、そんな涙ぐましい努力をしても、バスの臭いで吐きそうになったものだ。
高校時代はバス通学だったが、クルマ酔いの記憶はない。大人になるにつけ克服したのだろう。それが最近になって、再び自覚するようになったのだ。まぁこれも老化の一種なのかもしれない。
路線バスには年に1~2回しか乗ることはない。せいぜい使うのは電車だ。この日は珍しく「バスの日」だった。夜の待ち合わせは片町だ。いつもなら車か電車で出かけるところを、バスに乗ってみたくなったのだ。自宅近くから片町まで、どうやら1時間ほどかかるらしい。僕の自宅は、ずいぶん田舎なんだなぁ(笑)。
乗客のいない古いバスは、田舎の住宅街を右へ左へとグルグル回っていく。乗車して15分ほど走ったころ、気分が悪くなった。どうやらバスに酔ったらしい。あの懐かしい症状に陥ってしまった。間違いなく座席で本を読もうとしたのが原因だ。額の汗にちょっと驚いてしまう。運よく?横に、ご老人が立ったので、立ち上がって席を譲り、吊革にぶら下がって気分転換したりしていた。酔いが治まらないなら、途中下車して少し歩いてみようか、そんなことも考えたりする。今から飲み会だというのに、酒に酔う前にクルマに酔った、というのは、シャレにもならないよなぁ。
あれから、コロナの日々になり、バスや電車に乗ることはなくなってしまった。だからホントに「クルマ酔い体質」に戻ってしまったのかどうかはわからない。でも、帰りの田んぼ道で、ムカムカするのは今も変わらないから、その可能性はかなりある。どうやらこれからは、子どもの頃のように、そんなクルマ酔いと付き合っていくことになるのかもしれない。
この原稿を書きながら、酒に酔っていた頃の片町での失敗談もたくさん思い出した。子どもの頃のクルマ酔いに比べれば、はるかに醜い惨劇ばかりだ(笑)。まぁ「酔い」との付き合い方は「おとなしくなる」以外にないのかな。