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2021年10月01日

遠い記憶「初めてのアルバイト」

仕事に向かうときの狭い道路に、鉄骨の建材を積んだ大きなトラックが停まっていた。マナーが悪いなぁ、と思いながら徐行して、横をすり抜けた。汚れて傷だらけのトラックの荷台の横には、会社名が書いてあって、何気なく見て驚いた。僕が初めてアルバイトした会社のトラックだったからだ。
初めてアルバイトしたのは高校2年のときだ。叔父さんの手伝いをしてもらうような小遣いではなく、働いて他人様からお金をいただく本物のアルバイトだった。高校生のアルバイトには届け出が必要だった気もするが、もちろんそんな面倒なことはしていない。夏の合宿に行くための短期のアルバイトだった。

手っ取り早く稼ぐには、日雇いの肉体労働がいいんだ、と先輩に教えてもらい、先輩と一緒に、そのバイト先へ向かった。そこは金沢の北部の8号線の沿線で、周囲に何もない場所だったように思う。大きな倉庫に連れていかれて、30代くらいの、いかつい社員さんに引き渡された。倉庫には長い鉄骨の建材や、鉄板や、ボルトや、とにかく金属製品が、山と積まれていた。
社員さんは作業着を着ていたと思うが、どんな姿か思い出せない。ただ、はっきりと覚えているのは、履いていたのが「靴」ではなく、「ぞうり」だったことだ。昔のオジサンがよく履いていたようなやつだ。社員さんは、鉄の建材の山にひらりと乗ったが、歩くときに足を滑らせ、足の指をスパッと切って、大量に血が流れだした。高校生の僕は、とても驚いた。しかし彼は動じることなく僕たちに指示を与えていた。足元のぞうりは血まみれだった(笑)。

トラックにたくさんの建材や部品を積んで、向かったのは海の近くで、広い敷地に博覧会みたいな建物をたくさん建てている場所だった。体力の限りを尽くして、重い建材を運んだ。面白かったのは、高い場所で作業する職人さんたちに、部品を下から「投げ上げて」渡す、という作業だった。僕はこの作業が結構上手で褒められた。同時に下手な先輩は、ずっと叱られていた(笑)。
そんなバイトは、2~3日で終わり、最終日に「給料袋」を渡された。初めてのバイト、初めての給料袋だった。しかし、高校生にとって大金だった給料袋を、僕は落としてしまった(笑)。記憶では公衆電話のボックスの中に置き忘れたか、その前後で落としたのだが、ショックだったのは間違いない。だから今でも「初めてのアルバイト」は悲しい記憶だ(笑)。

大学生になっても、バイトはもっぱら「日雇い」だった。日曜日の早朝、学生寮の玄関先に業者のクルマが停まり、希望者がそれに乗り合わせて現場へ向かう。仕事の単位は「1日」で、当日即金でお金が入る。当時は〇トーヨーカ堂の建設現場が多くて、建設の土木作業や、オープン時のガードマン(駐車場整理)なんかがシゴトだった。
当時の様々な作業現場を仕切るのは一種の職人集団で、特にリーダーは「親方」と呼ばれていて、強面(こわもて)の人ばかりだった。たしか「坊や」とか「あんちゃん」や「ガクセー」と呼ばれていたと思う。でも頑張ると、とてもかわいがられた。僕はそんな世界のバイトが好きだった。
今でも自宅の電気工事や設備工事のときに、そんな職人気質のひとたちがやってくる。僕は必ず「親方は誰?」とたずねて、親方に「頼むね」と挨拶する。親方の後ろの方にいる若い「あんちゃん」を見ると、にっこりして「がんばれ」と声を掛けてしまう。

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