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2021年10月29日

場所の記憶「ほったて小屋の温泉」

ふと思い出した景色があった。見事な紅葉が一面に広がる立山の景色だ。数えたら20年ほど昔のことだった。弥陀ヶ原から室堂までの車窓に広がる光景に、高原バスの乗客がみんな歓声を上げていたっけ。赤や黄色や緑の低い植物たちと、神々しい山々、そして澄んだ秋空の光が織りなす、それは見事な景色だった。植物の名前はナナカマドくらいしか知らないのだが、そんなちっぽけなことはどうでもよくなるほど、雄大な自然の美だった。
富山にいるあいだに、一度は観た方がいいですよ。当時、富山の会社にいた僕は、同僚にそう教えられた。今度の週末が一番の見頃だとか、混むから予約した方がいいとか、いろいろ助言をもらった。当時もホームページくらいはあったから調べようとしたが、黒部ダムまでの所要時間や運賃くらいしか分からなかった。山のことは門外漢だし、まさかあんなに混雑するとは思ってもいなくて、面倒そうな予約はしないまま、早朝の立山駅の駐車場に着いた。

夫婦のささやかな旅、としては大失敗だった(笑)。キップを買うにも大行列、最初のケーブルカーに乗るにも長く待つことになった。ようやく乗っても乗換ごとに延々と時間がかかる旅だった。なんとかダムまで行って、下山したのはもう暗くなってからだ(笑)。だから、僕にとっての立山は、室堂あたりのあの景色がかけがえのない記憶なんだと思う。いずれまた、この紅葉を(紅葉だけを笑)観に来よう、そう思ったまま、20年の月日が流れていた。
そして今年10月のある日、珍しく平日の休みが重なった僕たちは、勢いで20年ぶりに立山に向かうことにした。あえて週末を外したのは言うまでもない(笑)。素人の考えでは紅葉が観れるかもしれない。さっそく「立山黒部アルペンルート」の公式サイトを開いた。公式サイトは充実していて、素人にも優しく変貌していた。スポットごとの紅葉情報があるのだが、残念なことに目当ての室堂平はすでに「落葉」と表示されている(悲)。でも弥陀ヶ原から下は「見ごろ」や「色づきはじめ」などもあった。だからその場でWeb予約することにした。いまはもう便利だ。

薄手のダウンを車に積んで、あの日と同じように立山駅に着いた。あの時と違って、どこも人は少なく静かだ(笑)。さっそくケーブルカーで出発だ。今日はいつものノリの「散歩」なので、室堂をゴールに引き返すつもりだ。大観峰も黒部ダムも、別の機会に取っておく。
想像通り、紅葉と会えなかったのは残念だが、室堂は良く晴れていて、周囲の山々や遊歩道周辺の景色は、とても素晴らしい。20年前のときの室堂は単なる乗換場所だったから、歩くことがなかったのだ。
みくりが池の脇には雪が残っている。すれ違う女性と言葉をかわしたら、どうやら今夜から再び雪になるらしい。そんな景色を撮ろうとしたとき、向こう側に建物があることに気づいた。みくりが池温泉の建物だった。そして忘れていた光景が、またひとつ浮かんだ。
僕は、あの温泉に入ったことがある。ほったて小屋のようなところで、窓から外の景色も見れた。白濁した湯船で、とても熱くて肩まで浸かれなかった、曖昧だがそんな記憶だ。遊歩道を降りるように近づきながら、そんなことを思い出した。実は、30年ほど前にも、室堂へ来たことがあるのだ。

それは初めての立山だった、何かの勢いで立山(雄山)に登ろう、などと素人の僕が言い出したような気もする。同級生のYくん家族と一緒に室堂で遊んだ。彼の奥さんが山の熟練者で、彼女に連れて行ってもらったような感じだ。雄山というコトバを知っているのは、そんなことがあったからだろう。どんないきさつだったか覚えていないのだが、なぜか僕は、友人Yの息子(長男)と二人きりで、あの、ほったて小屋の湯船に入ってきたのだ。ここは日本一高地にある天然温泉らしいのだが、ミーハーの僕はそんなことに引っかかったのかもしれない。
遊歩道はず~っと向こうまで続いていて、左手には地獄谷の噴煙が見える。さっきから風が強くなっていて、噴煙は真横に倒れて、強い硫黄の匂いが鼻を突く。あぁ、あの温泉もこんな匂いだったかもしれない。雲海とまでは言えないが、遊歩道から見える「雲」は下の方にあった。2450mとはそんな高さなのだ。雲はみるみる間に分厚く大きくなってきた。いまは絶好の天気だが、これから崩れるだろうことは初心者の僕にも分かる。そろそろ帰路につこうか。
ここでしか食べれないものって何だろう、ホテル立山のカレーにはそそられず、結局、立山そばを食べることにした。立ち食いスタイルに惹かれたのだ。大きなかき揚げが自慢のボリュームたっぷりの蕎麦だった。

ちなみに、ここの公式サイトには各スポットごとのライブカメラ映像があって面白い。さらに過去の動画映像も日付ごとに観れる。動画とは言っても3分間隔のスライドショーで、日の出から日没までの一日が編集されている。翌日の夜になって、この日の(つまり行った日の)室堂の一日を観ることにした。午前中は、透き通った空やあの雄大で美しい景色が広がる。昨日の僕たちが歩いた時間帯だ。その後、雲が広がりついにはカメラがホワイトアウトで何も見えなくなった。女性の言葉通り、きっと雪なのだろう。
気になったので、翌日分も観ることにした。日の出とともに明るくなった室堂は、真っ白な雪に覆われていた。これはこれで見事な景色だ。雲ひとつない真っ青な空を、太陽が斜めに登っていく。秋なのに冬景色の室堂はこんなにも神秘的だった。いいなぁ、翌日でも楽しめたかもしれない。とはいえ気温はマイナス3℃、素人の老夫婦は、やっぱり腰が引けてしまう(笑)。

公式サイト alpen-route.com/

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