本の時間「第2部に興味があって」
去年の9月だったか10月だったか忘れたのだが、本屋のおすすめコーナーに「日〇沈没」の文庫本が平積みされていた。かつて大ヒットした小〇左京さんのあれだ。いわゆる日曜夜のドラマが始まるからだろう。去年は、東北の震災から10年ということもあって、南海トラフの巨大地震を予測するNHK番組に見入っていたっけ。暮れには千島日本海溝の地震がどうだとか、その被害の推定値がこうだとか、あちこちで耳にしていた。そんな警鐘機運が高まったゆえのドラマなのかもしれない。
並んでいる書籍は4種類あった、日本〇沈没(上)と(下)、そして、第2部(上)と(下)だ。テレビでも予告編をやっていて、主役の〇栗旬くんは「若き官僚」役のようだった。あの物語の主人公は潜水艇の操縦士だったはずだけどなぁ、まぁ同じ原作だけど、過去の関連作品と同様に、テレビのオリジナルストーリーなのかもしれない。ということは、第2部というのは、このドラマのノベライズ本なんだろう、そんな風に思っていた。ところがそうではなかった。ドラマはあくまで前作がベースのストーリーで、第2部(の小説)は関係ないのだ。
この第2部の上下巻は、異変(列島の沈没)の25年後を舞台にした小説で、作者は小〇左京さんと制作プロジェクトの共作のようだ。つまり僕たちが(というより、おそらく誰もが)知っている日〇沈没には、第2部があったのだ。知らなかった。
前作(第1部)の発刊は1973年(つまり48年前)で、この第2部は2006年(15年前)に発表されたようだ。ちなみに小〇左京さんは2011年に没している。実は、第1部の執筆は1964年の東京オリンピックの年に始まったらしい。元々のテーマは「日本という国を失った日本人が、その後どう生きるのか」だったそうだ。その「日本という国がなくなる」という設定として選んだのが「日本沈没」という、天変地異ということだ。
ところが、なかなか執筆は進まず、出版側の意に沿って、途中で(つまり沈没のところまでで)発刊に踏み切ったのだそうだ。それでも、第1部には9年もかかったことになる。小〇左京さんにしてみれば、当初のテーマの序章に過ぎなかったのだが、それでも、あの大スペクタクル作品として大ヒットした。当時の僕は、まぁ一種のSF小説に過ぎないから、荒唐無稽な設定の映画のための原作のようなものだと思っていたはずだ。おそらく小説は読んでいない。だから映画とか、雑誌の解説あたりでストーリーを知っていたのだと思う。
この事実を知って、がぜんこの「第2部」を読んでみたくなった。だからテレビドラマと並行して読むことにした(笑)。もちろん違う物語だからだが、テイスト感は大きく違っていた。テレビは「希望」という言葉で主人公を中心に「人間」を描いている。ネタバレになるから本作のことを詳しく書けないのだが、僕にとっては、むしろ「絶望」というコトバを背負ったような、一種の群像劇のように思えた。だから最後の小さなエピソードにだけ、ホッとすることができた。
とてつもない労力で下調べをして書かれたことが、細かなディテールに生きていた。未来を舞台にした小説なのに、どの章にも圧倒的なリアリティーがある。人間の苦悩を描いたドキュメンタリーのような説得力があった。想像していたような、SFエンターテイメントではない。内容が重すぎて、おそらくテレビ向きじゃない。気が向いたときだけ能天気に読書するような僕には不似合いな小説ということかな(笑)。
今までも、難民問題や、民族紛争や対立、弾圧と自由、貧困と豊かさ、そんな海外ニュースに触れてきたのだが、以降はもっと注視するのだと思う。僕にとっては、そんな特殊な作品だった。僕にもそんな真面目な一面くらいは残っている。