本の時間「俺たちの〇〇」
結局のところ、観にいかないまま映画の上映は終了してしまったらしい。原作の小説を先に読んでから、と思っていたのだが、読み終えるのに時間がかかってしまったからだ。いろいろ忙しかったことも事実だが、知らない作家さんだから、ちょっと放置したところもある。
映画館での予告編は迫力が違う。それを観ていて、おっと思うような魅力を感じると、その本編が観てみたくなる。そして原作小説があると知ると必ず買って、先に読みたくなる。読めば満足するから映画を観るのは二の次になってしまう。まぁいつものことだった。
そもそも惹かれたのはアクションシーンで、その配役(役者さん)にも興味を持ったからだ。アクションと言っても暴力シーンで、しかも現代ヤクザのそれだった。主人公を演じる「岡〇准一」くんは、もはやアイドルなのか格闘家なのか分からない感じだ笑。相棒の「壊れたサイコパス野郎」を演じるのは、なぜか好青年イメージの強い「坂〇健太郎」くんだった。まぁ意表を突くキャスティング、ということなのかな。それにラスボスを演じるのはロックギタリスト「M」なのにも驚いていた。
でいつものことだが、僕は彼らの顔を浮かべながら小説を読むことになった。僕にとっては便利だが、原作者にとって良いのかどうかは分からない。
役者さんの顔を思い浮かべながら小説を読むのが、いつも便利で「いいこと」とは限らない。今回の僕は、ちょっと戸惑ってしまった。
坂〇くんは「俺たちの菅波」のイメージを引きずったまま、今度は「俺たちの泰時」として、年末に御成敗式目の草案を書いて愛妻に見せていた笑。大河では血なまぐさい物語のなかの「希望」の役だから、並行してこの小説を読む間、僕はず~っと違和感を持つことになる笑。
原作の小説は、いわゆるアンダーカバーもの(潜入捜査官が出てくるやつ)で全編にひどい暴行シーンが描かれる。なにせ地獄の犬たちの物語だ。もちろん小説としては、登場人物が醸し出す人情や信頼感、守る正義や信念が、深みを持った魅力として描かれていて、とても読みごたえがあった。でもまぁ、この小説を読むのには、俳優さんのイメージを持たない方がよかったんだろうと思う。
ちなみに岡〇くんは、正月早々に悪魔っぽい雰囲気を出しながら、信長として登場してきた。Mは、大晦日の国民的番組に「世界に旋風を起こす」ロックバンドの一員として出演していた。小説のクライマックスでは彼ら3人のシーンが濃密に出てくるから、なんか複雑な気分だったかな笑。
ハナシは小説から離れるが、僕たちの両親の世代には「任侠映画」というジャンルがあったと思う。いわゆる東映の任侠路線というやつで、鶴〇浩二さんとか高〇健さん主演のやつ、ってことになるらしい。
ハナシの舞台は戦前戦後なのだが、我慢を重ねながら主君の仇を晴らすような筋立てで、義理人情の、いわば「時代劇」のように大衆の支持を得ていたのだそうだ。当時のファンが求めるものがあったんだろうね。きっと「俺たちの〇〇」がいたんだろうと思う。でも「時代劇」なのだから、ファンの高齢化(減少)によって低迷していったのだそうだ。
僕たち世代にとって似たジャンルは、高校生の頃のゴッドファーザーなのかな。でも、マフィアとヤクザは近くて遠い感じもする。僕たち世代の「俺たちの〇〇」は誰なんだろう?、全く思い浮かばない。たぶんこのジャンルにはいないのかもしれない。
リアル世界では暴対法の施行によって、このジャンルの映画制作も激減してしまったらしい。今の時代は、本作の様に有名作家の原作小説とか、ヒット漫画を原作にした映画しか作れないのかもしれない。最近のヒット作には、暴力(若者たちの殴り合い)がつきものだが、概ねたくさんの登場人物による群像劇みたいな共通項があるような気もする。きっと「俺たちの〇〇」は、ある時期から、多彩で個別になったんだろうと思う。あの坂道系のファンにも共通することなのかなぁ。みんな同じような顔に見えて識別できないジジイは、無理やりそう考えたりする。