南禅寺は通学路、入学式は満開の桜
桜の京都ぶらり散歩「後編」
永観堂~南禅寺~蹴上インクライン
哲学の道から南禅寺方向へ進むとすぐに永観堂(禅林寺)がある。
まだコロナのさなか、ちょうど4回目?の緊急事態宣言が終了した頃だったと思う。もう大丈夫だ、などと誰も言わない時期だったが、こっそり京都を訪れたことがある。京都の紅葉が観たくなったのだ。
まぁそんなご時世だったから、ホテルはどこもガラガラで、紅葉の名所は昼も夜も案外スムーズに回ることができた。永観堂は、そのとき初めて知ったのだが、広い境内には見どころがたくさんあって、それは見事な紅葉だった。
ところが・・・だ。僕の記憶の中では、なぜか「桜の名所」としてインプットされていた笑。だから、今回の散歩コースの中に当たり前のように組み込んでいた。ボケるにはまだ早いと思っていたが、どうやらヤバいかも、なのだ。
気付いたのは、拝観料を払うときだった。何気ない会話で、この大きな勘違いに気付いたのだが、「桜の木もある」とのことで、そのまま拝観することにした。敷地はめちゃ広くて、桜は山側の上の多宝塔あたりがきれいだった。でも、きっと急階段だから登るのは遠慮する。
そのとき伽藍の前で、桜?の源平咲き(1本に紅白の花が咲くやつ)を見つけて、とってもラッキーだと思った。もちろんこれも勘違いで、この源平咲きは梅か桃だ。そもそも桜のそれは存在しないらしい。気付くのは帰宅してからなので、そのときは満足してニコニコ顔だったと思う。
さて、満足げな僕たちは次の南禅寺へ向かった。歩く道は静かな道路で車の往来は少ない。不思議なことに、すれ違う人たちは皆、若い女性と制服(ブレザー)姿の男の子の組み合わせばかりだった。しかも向こうから続々とやってくる。
服装からすると「これは入学式だ」とすぐに気付いた。今どきのお母さんはみんな若いのだ。僕たち老夫婦はすれ違うたびに、おめでと、おめでと、と小声で呟きながら笑顔を送った。
ここにあったのはH山高校だった。たぶん男子校だ。こんな僕でも聞いたことがある高校だから、スポーツの全国大会とかの常連校なのかもしれない。ちょうど正門あたりは、ピカピカの制服やリュック姿が渦が巻いていた。たぶん式典が終わったばかりなのだ。
もちろん反対方向の、つまり南禅寺へ向かう母子(たまにお父さんも)たちも大勢いた。みんな概ね一様にトランクをゴロゴロさせている。中身はきっと息子の教科書とか体育服とか、まぁそんな感じなんだろうなぁ。
南禅寺の門をくぐって境内に入っても同じ感じの列が続いている。どうやら南禅寺境内のこの道が、彼ら高校生の通学路なのだ。咲きほこる桜が、とても羨ましく見えた。
境内には同じブレザーの新高校生がたくさんいた。親と別れて友人同士の時間を楽しむのかもしれない。みんな境内の桜をバックに自撮りしている。
南禅寺の桜もあんがいきれいだった。観光地だから大型バスなどもいて、それなりに賑わっていた。昔も今もそんな観光地なんだと思う。そういえば修学旅行?のセーラー服姿が多いように思えた。
僕にとっての南禅寺はめったに来ない場所のひとつだ。大昔、地元の人に予約を取ってもらい境内の料理旅館に宿泊した記憶もあるが、その後は湯豆腐の記憶しかない笑。
さぁ長い散歩はお開きだ、そろそろ駅に向かおう。この先の蹴上駅から地下鉄東西線に乗るつもりだ。
その道の途中にレンガ造りの古いトンネルがあった。その上は堤防のような感じで桜並木が続いている。あぁ、ここは蹴上のインクラインだ。この景色は見たことがあるから、もしかしたらずいぶん若い頃に歩いたことがあるのかもなぁ。
琵琶湖疎水は、京都まで水を運ぶために明治初期に作られた運河だ。大規模だから船運にも使われた。運河には高低差があるから、陸上線路で船を引っ張った区間がある、それがここ蹴上インクラインらしい。今ではレールを残したままの散策路で、この時期の桜の名所のひとつなのだそうだ。
たしかに両サイドの桜並木は絶景だった。
ちなみにレンガ造りのトンネルは「ねじりまんぽ」と呼ばれるらしい。ネーミングがなんとなく京都っぽい気もするなぁ。