舌の記憶「味以外のことに目が行くから」
焼肉は、日ごろは全く口にしない食べ物のひとつになってしまった。僕にとっては、このわたとか、からすみとかのような「珍味みたいなもの」になってしまったかもしれない笑。旨い霜降り肉を1枚か2枚食べれば十分満足できる。若いころには身近なごちそうで、よく食べていたのは間違いないが、最近では、年に1~2度あるかないかの食べ物だ。あるとき急に食べたくなって、でも食べると胃がもたれてしまう。そんな年齢になってしまった。
ちなみに僕は、服や髪の毛にこびりつくあの「臭い」が苦手だった。「にんにく」が好きなのだが、昔は控えるしかなかった。食べるときは気にならないのだが、度を超すと、翌日は周囲に迷惑をかけてしまう。当時はファブリーズもブレスケアもなかったから、臭いが気になって、控えるようになったのだ笑。
先日、仲間が集まったときの会場(叙々苑)で、仲間と遊んだ大昔のいろんな「焼肉店」のことを思い出していた。今回は焼肉の話だが、舌の記憶というより、味以外の、そんな様々な記憶をさまよってみたい。
学生の頃のバイト先の先輩に連れていかれた焼肉店がある。竪町の奥の細い小路の古い店で、たしか「まゆみ」という店名だった。店にいたのは高齢のお婆ちゃんで、冬になると店の中に「練炭火鉢」が焚かれる。
遅い時間には客もいないのだが、その「まゆみ婆ちゃん」が、椅子に座って、火鉢に両足を開いて乗せている。つまり「おMた」を温めているのだ。それが、いわゆる「またひばち」というスタイルなんだと、先輩は教えてくれた笑。
先輩はタレに大量のにんにくを入れるのが好きで、最後のどんぶりめしに、残ったタレをぶっかけるのが好物だった記憶がある。その後、しゃべると口から「ごま」が飛び出したっけ。
菊川あたりに「Bーちゃん」という古い店があった。そこの「とんそく」が絶品だったので、ときおり豚足好きな仕事仲間に連れていかれた。古いカウンターには汚れた「七輪」がド~ンと乗っていた。カウンターの椅子は、これまた古くて、クッションの「ばね」が、座面から飛び出していて危ないのだ笑。それを座布団でふさぎながら座るのが流儀だった。
カウンターの向こう側に低い小上がりがあるのだが、それは客用ではなくBーちゃんの婆ちゃんの寝床だった。まだ早い時間だというのに、訪ねると、婆ちゃんが布団からのっそり出てきて僕たちを迎えてくれた笑。ちなみに、代がわりしたBーちゃんは、新しくなって今でも菊川にあるらしい。
なんだか、古い記憶に出てくるのは「ばあちゃん」ばっかりだ笑。
なんだかんだと言われることもあるが、日本で一番有名な焼肉店は、やはり「叙々苑」だろうか。芸能人の御用達の店というイメージもあって、若いころから名前だけは知っている焼肉店ブランドだった。そう言えば、芸能人のゴルフコンペを毎年開催していて、店内にはその写真や歴代の優勝者の紹介がされていたっけ。
初めて訪れたのは銀座店だろうか、着物姿の若い女性従業員ばかりなのに驚いた。黒が基調の内装で暗い店内には、かえって鮮やかな着物姿が映えるのだそうだ。しかも、みんな丁寧でしっかりした接客なのだ。トイレから戻ってくる客を、黒服に蝶ネクタイの男性スタッフが暗い廊下の角で待っていて、片膝をついて熱い「おしぼり」を、さっと開いて渡す笑。そんな当時のスタイルは、さも著名人向けの、夜の社交業のように感じたものだ。
食後の無料のデザートとか、会計時に渡す「臭い消しのガム」などは、叙々苑が始めたサービスらしい。もともと都内の店は全て高級路線で、当時のホームページには、ランク別に店舗情報が載っていた。価格帯が高いところが高級ということだ。そんな時代だった。面白半分に最上級の「游玄亭」や上位ランクの店、そして真逆のカジュアルな店など、それぞれ何度か使ってみたのだが、サービスは概ねどこも同じだ笑。違いは個室や内装、そして何より肉のランクということになる。確かに高い、そして旨い。
地元の高級路線で言えば、大手町のMとか片町のSとか、それなりの店にも行った記憶もあるのだが、覚えているのは焼肉ではなく、そこのオイキムチとかチヂミが旨かったことかなぁ。ちなみに僕は脇役のホルモンとか、クッパや冷麺に目がない笑。
霜降りが得意ではない僕の場合、味以外のことに目が行くから、覚えているのは個人的なカルチャーショックのようなものばかりなんだと思う。
先日のことだが「叙々苑は服に臭いがつかない」という事前情報をもらった。叙々苑から帰宅したときに思い出して、家人にクンクンしてもらったのだが、事実だった笑。まぁ僕の興味はそんなことばかりだ。