塗師(ぬし)の館の絶品あわび
せっかく芸術祭で奥能登へ行くんだから、1泊して美味しいものを食べようか、そんな思いつきのような発想に、いいねぇ~と、意外にも家内は乗ってきた。あそこはどうだ、こっちがいいかな、などと楽しい談議を経て、目的地を輪島の一軒家レストランにした。一度訪れたかった一つ星のフレンチレストランでの旅のディナーだ。
珠洲全域で開催されている奥能登芸術祭へのドライブの予定は、もう来週に迫っていた。遠いのは間違いないが、十分日帰りできる行程だから「泊る」という選択肢はなかった。だから、泊まると決めたときは何やらグッと楽しくなった。
連休の、しかも直前の問い合わせだったが、予約は簡単に取れた。取れたから、こんどは輪島のホテルを探した。これも簡単に取れた、どうやら海が見える部屋らしい。何やら運がいい気がした。
そして、ホントに楽しい夜になった。今回はそんな話を書くから、ちょっと長くなる笑。
まだ18時だというのに、輪島の街は真っ暗で誰も歩いていない。というより営業している店もない笑。海側から少し進んだ静かな小路の途中の石畳に、この店からの光がこぼれていた。外観はなかなかいい感じだ笑。
狭い玄関とは裏腹に、店内は広かった。イメージで言えば古い木造の「町家」を改造したような内装だ。案内されたのは中庭に面した一番奥の個室だった。そこには「古い蔵」が残されていて雰囲気のいい部屋だ。この建物は、かつて輪島塗の塗師(ぬし)が住んでいたものらしい。エスコートするエプロン姿のスタッフが笑顔で教えてくれた。
重厚な蔵の扉に、パリっとした真っ白のテーブルクロスが映えて、本格派をイメージさせた。テーブルセッティングの中央に、今日のコースのお品書きがある。素材の名前が並ぶようなシンプルなものだが、たぶん地元輪島や能登の豊富な素材をふんだんに使っているのだろう。もちろん旨いワインもアレコレ楽しみたい。泊まるホテルもすぐそこだから遠慮なしだ。さぁ、美味い能登フレンチを味わおう。
料理のハナシを書く前に、ちょっとした雑談がある。蔵のハナシだ。それは翌日の早朝、輪島の朝市を散歩してるときだった。観光客が歩くルートを外れて海に向かう狭い路地に、そそるギャラリーを見つけた。パリっとした佇まいのご主人が声を掛けてきた。店も彼も、まぁ朝市にはそぐわないオシャレな雰囲気だ。店頭では和紙に「うるし」を薄く重ねたコースターなどを売っているのだが、店内ではアート作品を思わせるようなインテリア用の壁掛けや小物が展示販売されていた。
お話好きなご主人は塗師の家系の8代目で、この場所は彼が生まれ育った家であり、代々の塗師の工房だったのだそうだ。彼は昨夜のレストランのことも蔵の個室のことも知っていて、いわゆる「塗師の蔵」の話を教えてくれた。輪島の塗師の蔵は、何かを保管する場所ではなく、そのまま仕事場(工房)なのだそうだ。
漆(うるし)には適度な室温や湿気が必要で、何より埃を嫌う。蔵は構造的にそれらに対処する機能、ということかな。ギャラリーの奥にある彼の住まい(リフォームした現代的なリビング)を見せてくれたのだが、そこにも立派な蔵が残っていた。
そして輪島塗職人たちが住んだ家の、独特の仕様や仕掛けがたくさんあることを見せてくれた。輪島塗は工芸品であると同時に、この土地の生活様式や人々の記憶や暮らしの中に、ごく当たり前のように息づいているのだと思った。昨夜のあのフレンチレストランに「蔵」を残したのは、単なるインテリアとしてではなく、輪島という土地を表現するには欠かせない代名詞で、それが輪島出身のオーナシェフの無言の矜持なのかもしれない。
さて、昨夜の料理のハナシに戻ろう。コースは、地物トマトのガスパチョから始まった。スープだと思って食べると、実は中に梅貝が仕込まれた冷い前菜仕立てだ、いきなり楽しい。輪島の鮎は、なんと春巻きになって出てきた笑。万願寺と大葉を美味く巻き込んで、和の香りが楽しい。いわゆるワタのソースもいいアクセントだ。ワインは料理に合わせて3本持ってきてくれる。それぞれ特徴を聞いて選び、グラスで楽しむスタイルだ。もちろん二人で違うやつを頼む。それを何度か繰り返す笑。
能登フグはサザエと一緒に、ホウレン草やバジルを効かせた温かいフラン(まぁ茶碗蒸しかな)で出てきた。美味しいから僕たち夫婦は食べるのが早くなるのだが、料理もワインもテンポよく進んでいく。ちなみに自家製パンには無塩バターと舳倉島の塩が添えられるのだが、この海塩が美味しくて、パンもワインもすぐに無くなる笑。
そして驚いたのはアワビだ。アオリイカのリゾットにふわりと乗った分厚いアワビは、びっくりするほど絶品だった。提供したスタッフは「10時間かけたアワビ」と言っていた。味の秘密がどうしても聞きたくてシェフに尋ねたところ、輪島の西の「うにゅう」のアワビらしい(どうやら鵜入と書く漁港のようだ)。
輪島の海藻をたっぷり食べたアワビは美味しいでしょう?、そういわれると嬉しいです、シェフは笑顔でそう答えるのだが、10時間の秘密は分からないままだ笑。書くのを割愛したが、甘エビもヒラメも、いろいろな野菜も、すべて楽しいひと皿に変身していた。けっして奇をてらわず、彼が探した能登の豊かな素材を、こんな遠方まで訪ねる客に、しっかり紹介したいのだと思う。
●塗師の館で食べたフレンチの料理アルバム(タップして右へ)
ハナシが長くなったが、最後のおまけに、この夜のメイン料理のことを書いておきたい。テーブルのお品書きには、たった一文字「牛」とだけ書いてあったやつだ。日によって違うのだろうが、提供されたのは赤身のシンプルなグリルだった。能登の牛と言えば、あの能登牛が連想されるが、これは全く違う。
見た目の通り、いわゆる「サシ」のない部分なのだが、食べると肉の旨味が凝縮されていて、なにやら香りが抜群にいい。これは旨い!どこの牛?部位は?などと、これまた興味を持った僕は、立ち去るシェフに話しかけた。団体客で忙しそうだったから、まぁ迷惑な客だったかな笑。でもシェフは丁寧に応えてくれた。
この肉は、穴水の某ファームで育てられた牛の熟成肉だった。しかも経産牛だと言うので驚いた。僕のつたない知識で言えば、通常のレストランなら経産牛(概ね子供を何度か産んだ大人の乳牛)の肉は扱わない。というより硬くて味が薄いから、焼肉店でも出てこない。あるとすれば肉屋さんでミンチに加工されてるやつだけだと思う。
いまでは「肉の熟成」は当たり前だが、あえて経産牛のそれに挑むのは珍しい。情報としては、その存在を知っていたが、まさか輪島で(失礼)で出会うとは思わなかった。そもそも「ミシュラン一つ星」だから、もしかすると店にとって例外の日、だった可能性もある。
あくまで僕の妄想だが、おそらく、生産者(ファーム側)と一緒になって熟成の試行錯誤を繰り返して研究し、自信が持てるから出すのだと思う。それは能登の海の幸だけではなく、零細小規模な畜産業にも光明を見出す取り組みになる。彼にとっては、それも能登のレストランのシゴトのひとつ、ということかなぁ。
僕たちはお腹いっぱいで(ワインも飲みすぎて)機嫌よく店を出て歩き始めた。振り返ると、シェフとスタッフの2人が、外まで出てきて礼を言い、そのまま僕たちを見送っている。店前の小路は暗いから、彼らの表情は分からないのだが、きっと「変な客だったなぁ」と思っているのかもしれない笑。でも、もしかすると店の隠れた努力に気付いて共感した客(僕たち)を見送りながら「嬉しい日だったなぁ」と思っているかもしれない。
たかが料理なのだが、されど料理だ。輪島の一軒家レストランで出会った料理は、そんな心意気を感じる料理だった。楽しい夜になった。
ちなにみ、帰る間際にシェフと雑談していた。アレコレ話すうちシェフは僕の素性?を尋ねてきた。あいまいに返しながら「ただの旅人ってやつです」と独り言のように答えておいた。まぁついでに言えば、ただの酔っぱらいだ笑。
この店 atelier-noto.com