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2023年12月15日

旅館での溜息「感謝の手紙」

ある日の紅葉の思い出
彼女へのお礼が言いたくて、チェックアウトのときに彼女を呼び出してもらった。小走りでフロントにやってきた彼女は、急に言い始めた。「とても恐縮しております。まさか私共に、こんなお手紙をいただくとは、思ってもおりませんでした・・・・」。
お手紙??、何のことか分からない僕は、そんなことを聞いても、ピンとこなかった。想像がつかなかったのだ。
彼女は、この宿のスタッフのひとりだ。何度か使ったことがあるこの宿に電話を入れ、相談した際に、その担当として対応してくれたのが、この女性だった。ポカンとしている僕を見て、彼女もポカンとし始めた笑。僕も、彼女も想定してなかったことが起ったようだ。

もう10年以上前のことだ。その年の夏の終わりごろだと思う。その宿「H」にはすでに予約を済ませてあった。予約は11月なのだが、その宿で、どうしてもやりたいことがあって、宿に申し入れるため、僕は相談の電話を入れた。折り返し「担当者」から電話が入るという。
その滞在には個人的に思い入れがあった。昨年の長女(姉)に続いて、下の娘(妹)の結婚が決まり、これで二人の娘は、ともに遠くに嫁ぐことになる。続けて2人の娘を失う(笑)男親の僕は、意外にオロオロしていた。だから家族4人の旅や娘たちとの思い出が作りたかったのかもしれない。ものすごくジタバタしていた笑。
宿の担当の女性は「ことほぎの担当者」と名乗った。そんな専門があると知って驚いた。やりとりをするうちに、サプライズや大掛かりな仕掛けが欲しいわけではなく、僕や家内や娘たちのささやかな記念になるような、そんな滞在にしたい、と考えがまとまっていった。いや、彼女が上手にまとめてくれたのだ。あらためて企画書を送る、という申し出は辞退した。彼女や、宿のスタッフに委ねて、言い出しっぺの僕も、何も知らないまま、2泊3日の滞在を楽しみたいからだった。

この宿には、紅葉のためのベストスポットがある。それは、ある客室のことで、その広いテラスの真正面、ほんとに手が届くような距離に、紅葉の木々が広がる部屋だ。だから紅葉の期間は、宿泊に使わず「紅葉カフェ」としてフリーに公開される場所(客室だけど)のようだ。
案内された僕たちの客室は、まさにその部屋だった。テラスではホームページにある、あの紅葉の木々が写真通りに僕たちを迎えてくれた。絶景だった。カフェの企画を僕たちのために休止してくれたように思えた。スタッフに誘われて、その紅葉をバックに家族4人の写真を撮った。カメラやスマホで何枚も撮ってくれた。
客室のリビングにあたる広めの堀座のテーブルには、スタッフからのお祝いの手紙や、スタッフ手作りの水引が添えられたスパークリングが置いてあった。館内のレストランでは、迎えるスタッフからお祝いのコメントをもらったり、祝い皿や気の利いた演出があったり、料理の一部にメッセージやサインが添えられる。滞在の間はスタッフの、そんな小さな心遣いに溢れていた。
部屋はふたつ用意してあった。娘たちの部屋を別にしたのだ。姉妹揃って、親の知らない話もあるだろう、と気を使ったつもりだ笑。しかし、僕たち両親の知らない出来事も、その娘たちの部屋で起こっていたようだ。

チェックアウトのとき、フロントで「写真立て」をもらった。宿からのプレゼントだった。2枚の写真を入れた「くの字」の小さな写真立てだ。開くと、左は紅葉の時期の宿の全景写真、そして右側には、あの部屋で紅葉をバックに撮った僕たち家族4人の写真だった。僕たちのカメラに紛れて、(スタッフのスマホで)一緒に撮っていたようだ。
とても嬉しくて、くだんの「ことほぎ担当の彼女」を呼んでもらった。そして彼女が、その「予定外の出来事」を、ゆっくり話してくれたのだった。
実は、娘たちの部屋には「便箋とペン」が用意されていたようだ。父親からの依頼を受けて、宿が考えたこと、全てのスタッフが自ら考えて対応したこと・・・そんな対応の経緯を、最終日を前に娘に伝えたのだという。だから、そんな親の思いに対して、娘さんから「両親への手紙」を書いて、渡してはどうだろう、という提案を娘にしたのだそうだ。
翌朝の清掃のときに、便箋と封筒が使われていたことから、彼女は、「娘から両親への手紙」が渡ったと思っていたようだ。しかし、娘の手紙は、親ではなく、宿のスタッフたちへの感謝の手紙として、フロントを経由して、ついさっき彼女の手元に届いたのだそうだ。

彼女の目論見は外れて、僕たちの手元に手紙は来なかった笑。親に似て、へそ曲がりだから、照れてそうしなかったのかもしれない。でも、スタッフへの感謝の手紙なんて、想像もしなかったから、とても驚いた。そして、僕にとっては、この旅の一番の思い出になった。嫁ぐ娘からの手紙は、きっと春の結婚式までお預けということだ。
ちなみに親の僕たちは、その翌年にも再訪した。宿で対応してくれた、くだんの「女性」は、その後、その宿の支配人と結婚し、竹富島の支配人夫人として島へ赴任したのだそうだ。めでたいことは続いたようだ。結婚しても現役なのかどうかは分からないが、またどこかで再会するような予感がしている笑。
あれから10年余の時が流れて、リビングの棚の「4人の写真」は色あせてきたが、見るといまでも時々思い出す。

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