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2024年04月05日

朝寝、朝酒、朝湯は好きですか?

どうしても温泉に入りたくなって、なんとなく空室状況を調べ始めたりすることがある。
そんなときはなぜか、まず近場の温泉宿を探す。だから山代や山中が浮かんでしまう。つまり無意識に、知っている宿、かつて使ったことがある温泉宿を探しているんだと思う。

それは「旅に出る」ような気分とはどこか違っていて、空いてなければ仕方がない、というような、ちょっとテキトーで投げやりな感じだ。色んな疲労がそうさせるのかもしれない。表面上の目的は「湯に浸かること」と「旨いめしを食うこと」に過ぎないから、夕方に着いて、翌日の午前中には自宅に戻ってくるような急ぎのイメージしか持てない。つまり昔の「なごり」がそうさせるのだ。大事な旅の計画なら、もっとちゃんと探してゆっくりするはずなのに。
こんな年齢だから、たくさんの温泉宿を使ってきた。失敗したなぁという宿には二度と行きたくないから、今となっては候補先がめっきり少なくなってしまった。まぁ新しい宿とか、経営者が変って大改装した宿もあるから、そろそろ試しに使ってみないとダメなのかもしれない。
ちなみに何度使っても「やっぱりいいなぁ」と思う宿は、もはや高額になってしまったから、今回の様に滞在時間が短いイメージのときには、ちょっとコスパが合わなくなっている。

昔むかし、小原庄助さんという人がいて、朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、ついには身上(しんしょう)をつぶした・・・。という歌詞で有名な民謡がある(タイトルは会津磐梯山というらしい)。
たしかに、大昔の団体旅行で行った温泉の記憶にはそんな「ぐうたら」で「テキトー」なシーンが残っている。
部屋の冷蔵庫が空になるまで(夜遅くまで)先輩に飲め飲めと指図される。朝食時間ギリギリ、接待さんが起こしにくるまで寝ていて、酒臭いまま膳につく。年寄りたちや先輩たちは、当たり前のように朝から(朝になっても)ビールを飲んでいたっけ。朝風呂のことは覚えていないが、もしかするとチェックアウト直前に、バタバタと風呂に行くのが昔の先輩たちの流儀だったのかもしれない。
若い頃の僕は、そんな先輩たちのやることに素直に従っていたと思うが、朝酒だけは嫌いで飲んだことがない。ちなみに現代なら、あんな過ごし方は、ある種の部下へのパワハラ行為ってことだろうなぁ笑。
庄助さんが好きな朝寝朝酒朝湯ってやつは、高度成長期のサラリーマンたちのあこがれだったのかもしれない

こんな年齢になったからだが、宿は小さい方が好みだし、早めに着いて近所をゆっくり散策するような使い方になった。でも宿着に着替えることはない。あの格好では下駄を履くしかなくて、僕の散歩には不都合だ笑。
そして、できれば散歩のその足で、外の総湯(公衆浴場)に入りたい。僕はひなびた温泉街の日常風情が好きなのだ。まぁ風呂上がりには牛乳あたりが似合うのかもしれないが、やっぱり宿に戻ってビールを飲んで、軽くごろりと居眠りするのがいい。朝寝、朝酒よりはるかに健全だ。
宿の風呂(大浴場)に入るのは、就寝の前とか、早起きした朝が好きかな。簡単に言えば人が少なくて、のんびりできる方がいい。とはいえ僕の入浴は「からすの行水」タイプだから、ゆっくり長湯という訳でもない。そもそも僕は「せっかち」だから、若いころは食事も風呂もパパっと済ますタイプだった。こんな年齢になって、食事だけはゆっくり食べるようになったのだが、風呂はまだダメみたいだ。
ちなみに宿の食事(朝食、夕食)のことだが、こればっかりは食べてみないと分からないから、運まかせだ。まぁ初めての宿だと、あんまり期待しないことにしている。もうホームページには騙されない笑。

小原庄助さんのネタ元の民謡「会津磐梯山」は、会津地域に伝わる「玄如節」が盆踊り節として転用されたものらしい。「えんやー」で始まるあれのことだ。
ちなみに僕は、山中温泉の記憶として「山中節」のフレーズが浮かぶことがある。「忘れしゃんすなぁ~」のあたりだ。当時よく使った宿の風呂で流れていて、朝も晩も湯船で聴いていたような気がする。そういえば「あんたがおるさけ行くんやぁ」という方言フレーズも懐かしい。たしかこれは山代温泉の観光施設のCMかな。民謡や方言と温泉には親和性があるのかもしれない。まぁじじいの温泉バナシだ。
さて、つまるところ今の僕と小原庄助さんの共通項は朝湯しかない。だから身上をつぶすことはない、と思う笑。

そうこうしているうちに、応援割のニュースが流れた。だから、今回の小さな夢は消えた。人であふれる温泉宿はやっぱり苦手だ。

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