本の時間「光と影とか昼と夜とか」
それは4月の終わりごろのことだ、東京駅近くの丸善(書店)に立ち寄った。いつ来ても人であふれる日本有数の本屋さんだ。
3階だったか2階だったか忘れてしまったが、混雑する通路の右側に、いわゆる「話題本」のコーナーがあって、そこに見覚えのある文庫本(上下2巻)が大々的に紹介されていた。
本の帯や大きなポスターには、大反響重版、最高傑作などの常套句が、これでもか~と並んでいた。こんな有名な本屋さんのやることだから、きっと凄い本なのだろうが、その本は、つい先日読み終えたばかりの小説だったから、僕はちょっと呆気に取られた。
この本は家内から借りて読み始めたもので、自分で探したわけではない。こんな話題の本だったとは思いもよらなかった。きっと同級生の中には読んだ人も知ってる人も多いかもしれない。
文庫本の発売と同時に買った家内はどうやら一気読みしてしまったらしく、たぶん面白いのだと思って、僕は何気なく、つられて読み始めた感じだ。
たしかにどんどんページが進んだ。僕の苦手なミステリーなのだがグイグイ引き込まれた。描写やプロセスの巧みさによって、登場人物への感情移入が激しかったりする。社会的な難題を改めて考えさせるような重厚さもある。慣れないジジイの僕にはちょっと切ない。
このところ陽が長くなった。こんな晴れた日の夕方はまだまだ明るい。夕暮れの公園には、ママ~とか、パパ見てて~とか、そんな幼い孫の声が響く。応えるママやパパの姿を見ていて微笑ましいなぁと思ったりする。
連休の渋滞をぬって長距離ドライブでやってきた孫たちとの時間は短くて、やれバーベキューだ花火だと、バタバタするばかりだ。でもまぁジイジにとっては、わが家のささやかな幸せを感じる時間ってことなんだと思う。
この本のことを、家族の物語だ、などというつもりはないのだが、読んだ余韻が妙に長く残っていた。そんな僕は、夕方の公園での家族のひと時に、ふと、この本のことを思い出してしまったのだ。
秀逸な作品を読むとき、読者は登場人物に自分を重ねてしまうのだと思う。若い読者なら主役の男女二人が気になるだろうし、僕の場合は同じシニア世代の登場人物の心情や本音を考えたりする。僕のような年齢になると親と子とか、子からみた親の生き様を考えてしまうのかもしれない。
そういう意味では当たり前だと思っている「家族の幸せ」という言葉も少しフクザツに感じてくる。
本編を読み終えた読者は、本のタイトルが何を象徴しているのか、かならず考えるはずだ。それが読者によって異なり、様々な意見になるのではないか、そう思ったりする。タイトルにそんな不思議なチカラがある。
ちなみに僕は、こんな原稿を書くとき、いつも同時に「使う写真」も考える。僕のような稚拙な文章の場合は特に写真が大事ということかな。写真にはいろんなニュアンスを伝えるチカラがある。でも、今回ばかりはとても難しかった。
光と影とか、昼と夜とか、明と暗とか、いろんな写真が思い浮かぶのだが、どれもピンとこない。本編の世界はそんな単純なことではないからだ。
笑い話だが、もちろん白鳥とかコウモリの写真もいったん浮かんだ。でもそんな写真は撮ったこともない。夕方の空に飛ぶコウモリに気付いて、試しに撮ってはみたが、まるでゴミやキズのように映るだけだった笑。
さて、余韻はこれくらいにして、そろそろ現実の世界に戻ろう。人はそれぞれ自分の人生という物語を綴る。僕たちはこんな年齢だからドラマチックな展開はもう望めないが、ささやかな笑顔であふれる物語であってほしいな。そう願うばかりだ。