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2024年12月12日

本の時間「タテとホコの宿命の戦い」

この日は、珍しく金沢城(城址公園)を歩いていた。何をしに来たのかと言うと、お城の「石垣」ばかりをず~っと見て回ったのだ。そこそこ長く生きてきたとは思うが、こんなに真面目に石垣を観察したことはない笑。

ちなみに僕は「お城のファン」ではない。今年の夏、たまたま松本城に向かったが、天守閣への行列がイヤですぐに引き返した。まぁお城への興味はそんなレベルだ。ましてや金沢城址は桜の時期に訪れる兼六園の「ついで」みたいな場所に過ぎない。
そんな僕が「城の石垣」に興味を持ったのは、この小説(下の画像)を読んだからだ。それは穴太衆(あのうしゅう)という戦国時代の石垣の専門集団のハナシだった。そのストーリーの「熱量」が凄くて、今も何かをを引きずっている感じだ。
はは~ん、これが野面積み(のづらづみ)ってやつかな?、あれは打込接ぎ(うちこみつぎ)で、あっちが切込接ぎ(きりこみつぎ)に違いない、などと、この日の僕は覚えたての石垣用語を使いたがっていた笑。
堀や土塁、桝形や櫓、何となく知ってる用語も言いたくてしょうがない。まるでRンブー敦くん気分だ。とはいえ、この日は面白がっていたが、いま振り返るとちょっと恥ずかしいかな。

この小説は直木賞受賞作品だった。舞台は秀吉が死に家康が台頭するあたり、つまりいよいよ西軍東軍がぶつかる頃、二つの技能集団(石垣づくりと鉄砲づくり)が大津城の攻防戦で対峙する。
どんな攻撃も跳ね返す石垣、どんな守りも打ち破る鉄砲、そんな「最強の楯」と「至高の矛」の対決を描く、究極の戦国小説だ(広告にそう書いてある笑)。
小説だからフィクションだが、石垣の穴太衆、鉄砲の国友衆、同じ近江の国の技術者集団はともに実在した。戦乱渦中の全国の大名から依頼を受け各地で活躍したようだ(金沢城の築城や補修にも穴太衆が関わっていたらしい)。
このふたつは、必ず成果を上げる特別な技術者集団、そんな感じだ。作者は彼らのシゴトを通して、新しいリーダー像や、彼らの誇りや強い使命感を描いていて、とても感動的だ。ちょっとしたプロジェクトXかな笑。
そういえば大津城の城主・京極高次の描き方が異質で面白くて、僕は彼のファンになってしまった。いずれにしても、一般的な武将たちの戦の物語と違うから、時代小説としてはかなりのおすすめだ。

さて、僕の石垣めぐりの話に戻る。いつだったか「金沢城は石垣の博物館だ」などとどこかで聞いたことがあった。たしか玉泉院丸公園あたりに、色んな種類の石垣が配されていたはずだ。そんなことも思い出した。だから紅葉が進んだこの日、散歩気分で向かったのが玉泉院丸だった。
かつてここにあった遺構を壊さないように、それを埋めて、その上に今の庭園を復元したらしい。まるで、さまざまな石垣のコラージュだから、おそらく作られた時代がそれぞれ違うのかもしれない。
その後は、城址公園へと進んだのだが、石垣って、こんなにたくさんあったのかぁ、と改めて驚かされた。
実は、写真もたくさん撮ってしまった笑。せっかくだから下に紹介しておこうと思う(画像アルバム)。でも石垣ばっかりでは叱られそうだから、兼六園とか、この日の紅葉も何点か挟むことにする。
▲石垣めぐりのアルバム(タップして右へ)

金沢城はこれまで何度も地震や火災に見舞われ、そのたびに改修された歴史があるらしい。古いものは無くなったか、または地下に眠っている。つまり観ている景色は一番新しいやつ(江戸時代かなぁ)ということだと思う。
小説の中の「戦のための城」ではなく、その後の「威厳を見せるための城」つまり戦のない時代のきれいな城ということかな。
それは分かっていても、建物や石垣を眺めていると、いろいろなことが想像できて、なかなか楽しい時間だった。たまたまこの日は、石川門の内部を公開していて「門という建物」の中も歩いて見学できた。けっこう面白かった。自慢気なRンブー敦くんの顔が浮かんだ。

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