本の時間「地中海の海賊との1000年」
国家と海賊のwin-win
日本語には「盗賊」というコトバがある。まぁ何となくだが「盗みを働く集団」だろうか。山の中で通行人を襲うのは山賊で、海の上なら海賊ってことになる。まぁ空賊はジブリにしか出てこないかな笑。そんな非合法の輩(やから)達のことだ。
まぁ僕たち昭和人間の海賊像にはステレオタイプがある、あのカリブの海賊だ。ひげ面に眼帯、義足で腕にカギ爪、三角帽子で肩にオウムを乗せ、船には「どくろマーク」の旗、まぁそんな感じだろうか。キャラクター名ならフック船長とかバルボッサかな。どっちにしても、そんな作りモノは、どこか笑いを誘うようにできている。
でも中世ヨーロッパの史実に登場する海賊は、まったく違う。まぁ歴史資料に残るくらいだから、その規模も「やること」も違う。その行為は、ある種のビジネスで、国家公認のものまである。敵国の商船を襲うのは、国家間の紛争にとって有益だからだ。だからちゃんと税金を払って存続を続ける。いわば「海賊産業」という規模だ。
先週に続いて、今回紹介するのは「ローマ亡き後の地中海世界」という歴史小説(全4巻)だ。つまり僕はまだまだ、塩〇七海さんの本を読み続けていた。
これは、タイトル通りローマ亡き後の「地中海側」の1000年のハナシだ。前回ここで紹介した「海の都の物語」という作品は、ヴェネツィアの1000年の興亡を描いたもので、「アドリア海側」つまり地中海の反対側のハナシともいえる。まぁ、あっち側もこっち側も大変だったってことかな笑。
本作は決して海賊の物語ではないのだが、イタリアをはじめとした地中海沿岸のキリスト教系の国の人々が、実に1000年以上にわたって、サラセンの海賊に翻弄された歴史を知ることになる。
イタリアに住む彼女(作者)は、双方の世界の史実資料を丹念に調べながら、ほぼ時系列で克明に描いていく。史実から浮かび上がる人間像の造詣が彼女の持ち味だ。物語としては西欧側の視点が強いんだけどね。
中世ヨーロッパ世界では、イスラム世界の人たちのことを、あれこれひっくるめて「サラセン人」と呼んでいたそうだ。まぁいわゆるヨーロッパ中心史観的な表現なのかな。一方、当時のサラセン世界では、ヨーロッパの国々の人たちをひっくるめて「フランク人」と呼んでいたらしい。
まぁ、世界史の苦手な僕にとっては、それくらいがわかりやすくていい。双方の世界の民族や領土、統治や宗教のことを細かく知りたい訳でもない。この本にあるように、歴史上の紛争や事件の背景は複雑なのは間違いない。それが史実だ。
中世の頃には、地中海の南、つまりアフリカ大陸側は、すべてサラセン人の国だ。サラセンの海賊は、生活のために地中海を北上してイタリア半島を荒らす。しかも海の上だけではなくイタリア沿岸の町を(都市も)襲うのだ。つまり盗賊(海賊&山賊)だ。奪うのは金品だけではなく人間に及んだ。人間の方がお金になるからだ。
略奪された人々は、いわゆる「人質」で、男女とも高貴な人ほど高額の値が付く、つまり身代金だ。一般人の女性は売られ、男性は奴隷としてプールされる。イメージで言えば海賊船の漕ぎ手だ。人質は金になる、つまりビジネスとなり、上手な頭目(経営者)がたくさん誕生し、産業化していったのだ。
ヨーロッパ世界(フランク人側)の統治者(王様)も宗教界も、当時の視線は十字軍遠征や領土争いのほうにあったようで、足元の沿岸都市の海賊被害は、ほぼ放置された。武力解決もやったが、もはや産業化したサラセン国家公認の海賊ビジネスを根絶やしにはできなかった。それが1000年続いた背景だ。史実はむなしいほど残酷だ。
もちろん史実がベースだが、この本には(塩〇さんらしく)たくさんの「実在した生身の人間」が登場する。中には海賊の「お頭」や傭兵軍団のオーナー、都市国家のリーダーたちという職業の経営者(社長さん)たちも登場する。諜報活動や業務提携、その財力や武力を駆使しながら生き抜く人間ドラマを描いている気がする。
日本の歴史小説にも、海賊や盗賊のハナシはたくさんある。村上水軍とか雲霧仁左衛門とかかな、つまり「チーム」も「お頭」も出てくる笑。でもスケールがはるかに違う。なんせ東西の大国と大国の戦いだからね。
ちなみに日本では「ガレー船=奴隷船」つまり「漕ぎ手=奴隷」のようなイメージがあるが、実際には国ごとに時代ごとに様々な形態があったようだ。たとえば都市国家にとっての商船やそれを護衛する軍船の漕ぎ手は、お金になる人気職種でもあったようだ。鎖につながれた奴隷ばかりでは戦いに勝てないということかな。
彼女(作者)の作品には、そんな船舶の構造や性能、つまり技術開発の発展の歴史も出てくる。いつの世も戦争は様々な産業を活性化させる一面を持っている。人間の性の恐ろしさでもあるよね。