青春のかけら「八王子の寺内キン」
珍しく山手線の内回りに乗って渋谷へ向かった。高田馬場あたりの車窓からBIGBOX(ビッグボックス)が見えた。外観は赤から青に変わったから、改装されたのかもしれない。僕たちが大学生になる頃には存在していたから、相当な歴史があるのは間違いない。当時は中にボーリング場があって、そのレーンの横のフリースペースに、珍しく「揺り椅子」が何台か置いてあった。その椅子で当時の悪友と二人で、居眠りしていたことを思い出していた。眠かったのではない、夜行列車までの、長い時間つぶしだったのだ。
早稲田の文学部を受験する、早稲田1本に絞る、と聞いた時には驚かなかった。浪人中の悪友O山くんが、何も置いてない4畳半の彼の下宿に「目指せ早稲田」の張り紙を貼った時も、僕は驚かなかった。たとえ無謀でも浪人受験の目標は高い方がいいし、彼らしいロマンある(笑)目標は、とても微笑ましい、と思っていた。しかし、とても本気だとは思えなかった。なぜなら、バイトに明け暮れていたO山くんが勉強している姿を一度も見たことがなかったからだ。
そんな彼が本物の受験票を片手に「早稲田受験に付き合ってくれ」と、言い出した時にはさすがに驚いた。受験する会場まで案内してくれ、という唐突な願いだった。結局、お金がない僕たち二人は夜行列車「能登」に乗り、早朝の上野に着いて、八王子の(当時は山奥の)僕の学生寮に一泊し、翌日の受験本番に備えることにした。
日中何をしていたかは覚えていないが、夜遅くに寮に着き、「前祝いだ」と近くのスナックで夕食をとることにした。近道の裏山のケモノ道を”滑りながら”降りて行ったところに、学生寮の仲間から「お化け屋敷」と呼ばれる、そのスナックがあった。お化けと呼ばれたママは「寺内キン」に似ていた。そうだ、寺内キンは当時の「寺内貫太郎一家」の「ジュリー~」と叫ぶ、樹木希林さん演じる婆さんのことだ。そのママも、にっと笑うと、前歯が1本抜けていて、髪型が同じで、身長が極端に低いので、いつもビールケースの上に乗ってカウンター接客していた。例の割烹着を着ていたかどうかは覚えていない。
名物のホルモン定食を食べ、ママの毒気に悪酔いした翌日、消しゴム付きの鉛筆を一本だけ持って、彼は早稲田の受験会場へ入っていった。受験の3科目が終わる半日の間、僕は父兄控室で待つことになった。しかし1時間ほどウトウトしていた僕を揺さぶって起こしたのは、受験会場にいるはずの彼だった。そして彼は一言「帰ろう」と言って、すたすたと早稲田大学を後にした。何があったのかわからないが、残り科目を放棄したのだろう、と直感した。
鉛筆の芯が折れて、前歯でかじりながら再開した、とか何とか、色々独り言のように呟いていた。彼はその日、何かに憑かれたように学生街のパチンコで一攫千金を狙い、想像通り惨敗してお金が無くなり、二人は高田馬場のビッグボックスで時間を潰して夜行列車で戻ってきた。こうして彼の浪人一年目の受験は幕を閉じた。
時が流れて、転んでもただで起きない彼は、大学卒業後に、なんと「塾の講師」を職業に選んだ。友人からそう聞いて、一瞬驚いたが「彼らしい選択だ」と思った。子供好きの彼の笑顔がすぐに浮かんだ。樹木希林さんの追悼映像を見かけると、ときどき思い出す。そんな学生時代の悪友との大事な思い出のお話。