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2019年11月29日

ただ食べたくて「〇〇の日に」

ある夜のこと、近所の寿司屋へ二人で行った。近所とはいっても車で10分ほどのところで、用意周到にタクシーで向かった。色々あって疲れたこの日に、自分へのご褒美という理由をつけて予約することにした。久しぶりに「旨い魚と日本酒」が欲しかった。
11月1日は「寿司の日」なのだそうだ。〇〇の日というのは沢山あるから、特に興味もないのだが、それを知って「寿司が食べたい」というスイッチが入ったのは間違いない。でも実際に行けたのは、当日ではなく少し経ったこの日のことだ。

この寿司屋を知ったのはずいぶん昔のことだ。香林坊の有名な寿司屋と同門で、先代から「のれん」を分けてもらった、と記憶している。当時は古い店構えで、少し年齢の離れた奥さん(ずいぶん若く見えた)と二人でやっている店だった。オヤジは無口で笑わないタイプで、奥さんは明るく愛嬌がある、まぁそんな、どこにでもありそうな、夫婦二人の小さな寿司屋だった。
まだ高校生の娘が反抗期の真っ最中だった頃、娘と二人でカウンターに座ったことがある。僕は刺身で酒を飲み、制服姿の娘には、最初から寿司を握ってもらった。父と娘には会話はない(笑)。娘は会話から逃げるように、黙々と寿司を食べていたように思う。最後の「いくらの手巻き」のときにオヤジが気付いたのか、まだ食べれるだろう?、と言いながら、娘に大きな「いくら丼」を作ってくれた。大好物を出された娘は嬉しそうにペロリと平らげていた。この日が何の日で、なぜ娘と二人で行ったのかは覚えていない。でも何か特別な〇〇の日だったのだと思う。

この日は金曜日の夜で、横の座敷には、すでに客が入っているらしく、にぎやかな会話が漏れてくる。でもカウンターには「予約席」のプレートがふたつあるだけで、誰もいなかった。ビールで乾杯すると、先に刺身でも切りましょうか?などと声をかけてくる。おすすめのつまみ三品が出てくるまで、刺身でスタートだ。相変わらず、ぶっきらぼうで笑顔もないまま、一枚の皿をカウンターに出す。そして目の前で切りつけた刺身を、指でつまんでポイっと置いていく。「平目っす」「アラす」と、順に乗せていく。僕は寿司屋のこんな刺身が大好きだ。このリズムとスタイルが寿司屋独特の楽しさだと思う。

カウンターの奥の壁に大きなテレビが吊られていてる。何の番組か分からないが「11月22日の今日は、いい夫婦の日です」とやっている。当の僕たちに自覚はないのだが、後ろから料理を出す女将さん(奥さん)が「はい、いい夫婦の日に、どうぞ」とテレビを復唱しながら揚げ物を出してくる(笑)。僕たちはともかく、オヤジと女将さんの方が、よっぽどいい夫婦に見える。
奥の厨房から、若い料理人が顔を出して、まだ食べれるようでしたら、白子の石焼き、いかがですか?と声をかけてくる。この店の息子さんだ。たぶん僕の娘と同じくらいの年齢だろう。当時、夫婦二人の古くて小さな寿司屋は、今では新築の大きな店になり、ご家族で営む繁盛店になっていた。田舎の店は、こんな家族的な雰囲気がいい。オヤジお勧めの福井の「梵(ぼん)大吟醸」のグラスを上げて、いい夫婦の日に、とオヤジに言ってやった。オヤジは目を合わせず奥の厨房に消えていった。ぶっきらぼうは、シャイの裏返しのようだ。

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