BARの夜話「ベストメイトのオリーブ」
エッセイストA川佐和子の対談記事の中に、父親(作家A川弘之)と一緒にドタバタしながら自宅で作るA川家の「マティニ」の話が出てきた。対談場所がT国ホテルのBARだったこともあって、記事に引き込まれ、遠い昔に南の島で飲んだマティニのことを思い出した。
ラハイナはマウイ島にある古い港町で、当時は日本人はもちろん、旅行客そのものが少なくて、静かなオールドハワイを楽しめるところだった。夜遅くに部屋を抜け出してプールサイドを歩き、レストラン横の、そのBARのオープンテラスに座った。ずいぶん昔のことなのでホテルの名前に自信はないが、マリオットだったと記憶している。気持ちの良い海風を感じて一息ついていると、金髪美人の白人ウエイトレスと目が合い、彼女がスマイルを満面に浮かべて注文をとりに来てくれた。
もちろん英語など得意ではないから、発音には自信がないが、僕の「マティニ」というオーダーは理解してくれたようだ。そして彼女はていねいに、レシピを尋ねてくれた。わかりやすく、選択肢の材料名を「単語」と「or」でつなぐだけのシンプルな英語だ。彼女の優しいリードで、いくつかのレシピを選び、もう最後かと思っていたとき、「アリー」という選択肢に出会ってしまった。う~ん、何のことかわからない(笑)。僕の少し困った表情を見て、彼女はにっこり笑い「OK」と応えてキッチンへと戻っていった。
最後は発音が通じなくて、あきらめたのかな、と思っていたら、再び彼女は笑顔を浮かべて戻ってきた、「それ」を優しく包んでいた両手を、僕の前で開いて見せてくれた。その両手の手のひらに乗っていたのは、何種類かの「オリーブ」だった。ああ、オリーブのことなんだね、と笑顔で返しながらも、マティニに付きもののオリーブのことを忘れていて恥ずかしかった。そして日本人顔負けの彼女の「おもてなし」にとても嬉しくなった夜だった。
その翌朝、ロビーの隅の掲示板に、彼女の写真が貼ってあることに気付いた。タイトルなどからすると、どうやら「今月のベストメイト」をホテルが発表しているらしい。それが彼女だったのだ。僕だけじゃなく、誰もに幸せな笑顔と時間を提供する彼女のことを、上司や偉いひとたちも、ちゃんと見ていたんだね。若造だった僕はその後も、バーのカウンターでオリーブを見るたびに、この晩のことを思い出したものだ。
後年、大人になった僕にとって、マティニは特別のカクテルとなり、めったに口にすることはない。でもA川家のように、自宅で楽しむのも悪くないか、などと思い始めた。ドライベルモット、思い切って買おうかな(笑)。