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2020年02月14日

親父の一番長い日

その日の番組テーマは「さだまさし」だった。音楽の世界をマニアックに扱う深夜のトーク番組を見入っていた。いつのもようにプロの音楽プロデューサーが、プロの目線でアーティストの楽曲を語る構成だ。今回は特に作詞の部分がテーマだった。さだまさしは、特段好きなわけではないのだが、紹介された3つの楽曲のひとつが「親父の一番長い日」で、その歌詞に潜んでいる「ここがすごい」というポイントを熱弁していた。確かに彼の歌詞は世界観やコトバ選びが秀逸だ。
番組を観ながら、フリップの歌詞を真剣に読むうちに、ついつい自分の娘たちの結婚譚を思い出していた。この番組を観ていたなら、世の中の親父たちは、いや27期の親父たちも、娘が嫁ぐ日が、どんな日だったのか、思い出していたはずだ。その日は365日のなかの1日ではなく、それまでの娘と過ごした長い長い年月を、ぎゅ~と圧縮した、まさに親父の一番長い日なのだと思う。

友人の一人娘が嫁ぐのだという。こいつはクールな態度でそれを話す。結婚したって何も変わらないから大丈夫だ、結婚式に泣くなんてことはないよ。彼はそう言って冷静を装うのだが、僕は「結婚式で思い切り泣け」と言ってやった(笑)。僕にも嫁いだ娘がいる。娘をもつ父親は、娘のことが大好きだ。そして、あるときから「娘が大好きになるような父親」を演じるようになる。けっこう無理して頑張って、いい父親を熱演する。まぁ、父親はみんな同じだ、などというつもりはないが、そんな奴もいるんだ。あんがいたくさんいるんだ。
父親にとっては、娘はいつまでも子どもでいて欲しいものだ。一方の娘は娘で、そんな父親の頑張りに気づいていて、大人になるにしたがって父親の気持ちに上手に応えるようになる。娘は子どもを演じてくれるのだ。一方、父親の方はそれに気づかず、カッコつけて突っ張ってばかりいる。

そんな、子どものはずの娘が、あるとき立派な大人であることを知る。嫁ぐ日が決まる頃から、それを感じて、父親は割とジタバタする(笑)。ある日こっそり、写真などを観ながら、長い年月の娘との時間を映像のように思い出す。そしてスイッチが入ると、その光景が一気にあふれ出す。スイッチは、たいがい「式のプログラム」に組み込まれていて、これぞ、というタイミングでやってくる。
手紙を読む娘の涙にはすごい思いがこもっている。娘にとっての長い時間が詰まった感謝の涙だ。だから娘の涙にはコトバの何倍もの破壊力がある。それがスイッチだ。父親にとって、その破壊力に対抗できるすべはない。ありきたりな言葉ではなく「父親の涙」で娘に応えるしかないのだ。
彼は一人娘が大好きだ。だから「思いきり泣け」と言ってやった。大好きな分だけ大泣きすればいい(笑)。娘は泣かないかもしれない、いや泣かないと思う。きっと彼はそう反論するのだろうな。彼のジタバタが始まっている証拠だ(笑)。彼にハンカチ買ってやろうかな。鼻水を流すのはカッコ悪いから、忘れずに持っていけ。カッコいい親父の必需品なのは間違いないから。

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